困ったこと

最近、別に生活に支障は無いレベルで、少し困ったことがある。
同僚(パートさん)が、頻繁に“奇妙な論理”に類する健康法を勧めてくるのだ。
僕がずっと不調だったのは確かだし、心配してくれているのは有難いと思う。
しかし、『バイオリズム(古いなあ)』とか『ホメオパシー』とか、そういうものばかりなので、聞くだけで疲れてしまう。


今日は『酸素水』という(酸素が高濃度に溶解した水)を貰った。
ずいぶん高価なものらしい(コンビニの水としては割高な価格だそうだ)。
論理的に考えれば、水に酸素を溶かしこんでも、全然意味が無い。
普通に暮らしていれば、まず酸素不足になる事は無いし、消化管で行なわれるガス交換など、たかが知れている。

そういう理屈を説明しても、「○○さんが勧めていたから」と笑って受け流されてしまう。
ちょっとだけ、先日の「舌禍事件」の臭いがする。


ホメオパシーのお薬』という水薬の小瓶も貰ってしまった(今日は盛りだくさんだった)。
ラベルによると、1%溶液の10^-6(10のマイナス6乗)にまで薄めた“何か(ラテン語風のスペルで読めませんでした)”が入っているらしい。それだけ薄めたら、元の“何か”は1分子も存在しそうに無いのだが、きっと誰も気にしないのだろう。日々、不純物を無くすべく奮闘している職場の一員としては「何だかなあ」と思ってしまう。

明日(または来週)には、『天然モンゴル産の重炭酸ソーダ』を持ってきてくれると言う。
これについては、そのものずばりのサイトがあった。
重曹は面白いけれども(蒸しパン大好き!)最近は過大評価されている気がする。


この種のエセ科学の話を聞くと、いつも「判り易すぎて陳腐だなあ」と思ってしまう。
いくら何でも、自分に都合の良すぎる世界観ではないか?
確かに、考えを深めていくことは、時として絶望に通じる(←昔のエライ作家も言っていた)。
だからと言って、耳に優しい言葉を信じてばかりいたら、それは思考停止そのものだろう。

とはいえ、思想信条は自由であり、誰が何を飲んでも(青汁だろうがカルニチンだろうが)勝手だ。
ただし、他人には“よく考えて”勧めてほしいものだと、つくづく思う。

 


もう少し穏当な、例えば温泉の無料招待券とか、美味しいお菓子等ならば有難いのだけれど。
他のパートさんで、お惣菜や果物をくれる人がいる。それは本当に嬉しく思う。
長期病欠から復帰した日に貰った栗の甘露煮(手作り)は、とてもとても美味しかった。
僕が秋に「栗が好き」と言っていたのを覚えていてくれたのだ。
こういう親切こそ、生きるうえでの滋養だと思う。

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