一身上の都合かもしれない ── 仕事仲間と同僚と ──

転勤で引っ越し、という話がかなり具体的になってきた。
正確には、会社が想定通りに成長していないため、親会社の近くで仕切り直しをすることになった。

 


個人的な関心・都合だけで言えば、県外への移住*1へについては、むしろ生活を変える良いきっかけと捉えていた。楽しみにしていた、と言っても嘘ではないくらいに。

 

でも、毎日一緒に働く「仕事仲間」達が、家族の都合などで転勤ができず軒並み辞めざるを得ない状況になっている事に、今はかなり悩んでいる。当初は自分だけの転勤だったのが、拠点ごと移す方針に変わったので。

今まで一緒に頑張ってきた「仕事仲間」達が辞めると、自分ともう1人の「同僚」とだけで、新天地に赴くことになる*2。役員はいるけれど、業務は僕達2人と、関連会社の人達で進めていく。

この1年、自分でも驚くほどに、「仕事仲間」と協力して仕事をなんとか組み立ててきた。全員が素人だからこそ役割分担を明確にして、最近ようやくかたちになってきた。でも、その役割でいえば、僕はコンセプトを明確にしアドバイスをする役割だったから、実務まで担うのは重い。
心身が持たないし、仕事としての成果も挙げられないだろう。
ましてや、「仕事仲間」達が辞めて、あの「同僚」と一対一で働くなんて、不安以外の何物でもない。

 

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

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そうなのだ、その“もう1人の同僚”が、いささか問題が多すぎる人間な点が、最大の懸念材料なのだ。
熱心だが知識が無く、私生活も感情も仕事に動員できるが他者への敬意に欠ける人間、それが「同僚」氏。
極めて少人数の職場ではそういう人がいるだけであらゆる仕事が滞ってしまう。僕は「同僚」氏の教育者として雇われた、あるいは入社後にその役割を期待されていたのだけれど、別に特別手当が付くわけでは無いし、「同僚」氏のせいで滞る業務に加えて教育者として礼儀正しく振る舞うのにも、さすがに疲れてきた。
「同僚」だって同じ会社の同格の人間なのだが、こうして(文章上の識別があるとしても)わざわざ表記を分けるのは、心情的に「仕事仲間」とは別に考えているから。

なぜこういう問題のある人が延々と仕事を続けられて、もっと“まとも”な「仕事仲間」が(たとえそれぞれの自己都合であるにせよ)仕事を辞めなくてはいけないのか。その話は書いていると日付が変わってしまうから書かない。一言だけなら「お坊ちゃんだからさ…」で済む話だ。

ただ確実に言えるのは、笑って仕事を続けるのは難しい状況であることだけ。理不尽ではないけれど、気持ち良く受け入れるのは抵抗がある。
自分の見立てでは、「同僚」氏が人並みの社会人として常識的に振る舞っていたら、誰かが辞めなければならない転勤(職場ごとの移動)にまでは至らなかった。
だから、笑って「今後ともよろしく」なんて言えないし、「自分がこれからも頑張れば…」とも考えられない。

いくつかの支社に分散しても、仕事仲間は仕事仲間だ。でも辞めてしまったらその絆は残らない。たとえ退社後に友人でいられても、それはまた別の繋がり。残念でならない。

 

あとは野となれ大和撫子

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年若き「仕事仲間」達への思い入れや勝手な責任感、そして自分1人では仲間の抜けた穴を塞ぐだけで(そして「同僚」氏に関わり続けて)消耗してしまうのではないかという危惧を鑑みると、「そこまでして今の勤め先にしがみついている必要はあるのか?」を考えてしまう。会社や役員達のことは全く嫌いになれないのだけれど。


かつて心療内科に通った身としては、「ストレスで身体を壊す」事は最優先で避けたい。正直なところ再び就職活動をするのは嫌でたまらないのだが、それはそれとして。

 

かかわると面倒くさい人 (日経プレミアシリーズ)
 

 

そして今、ほんわりと、新しいわくわくが生じていることに気がついた。
つまりこういう事だ。

「今の仕事を辞めたら、どこか遠くに旅をしよう」

退職金は雀の涙だが、それでも安くて時間のかかる旅ならできる。小笠原諸島でもいいし、台湾一周でもいい。

 

キミのお金はどこに消えるのか

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なあに、仕事が無くてもいきなりは死なない。
この楽観は、転職をした人間の確かな実感として、今の自分を支えている。
さて、どうなることやら。

 

 

 

 

*1:具体的には四国

*2:正確には、「同僚」氏は地元に帰ることになる。