オリジナルデザインという仲間意識

昨日、こんなニュースを知った。


小田原市の職員、生活保護担当の人達が、生活保護(の不正受給)を“なめるな”とデザインしたオリジナル・ジャンパーを着て仕事をしていた、という話。なんと10年も続いていたという。

市政の、福祉に関わる人間に許される態度ではない、と思う。しかし僕は、それ以外に、これは実に現代日本的な事件だと思ったので、とりあえずここに書いておこうと思う。

 

これはつまり、「みんなの正義とやる気」が「仕事の論理と倫理」よりも大切にされる風潮が、原因なのだと思う。
TVでは「結束を強めるために有志が作った」と言っていたが、要は仲間内で盛り上がっただけだ。部活や文化祭のオリジナルTシャツ、大学サークルのウインドブレーカーと変わらない。
10年間続いたのならば、新人だって買わされたと思う。事実上のユニフォームである。
本当に必要ならば、仕事の道具として「予算」で買えば良いのだ。というか、手弁当で許されるものではない。殉職した仲間の為に一定期間喪章をつける警察官とは、訳が違う。

この「みんなが決めた・盛り上がっている・ウチらの正義とやる気」というのは本当に厄介で、とても根が深い。自分達の正当性を検証する必要が無いのだから、ただ鈍感になればいい。田舎のヤンキー意識、と言い換えてもかまわないと思うが、つまりは「ここでは常識なので」の一言で反論を封じる(ことができる)と思い込むことができるし、それほど人の出入りが無ければ、それできちんと循環してしまうのだ。
常識が正しさを担保してしまう世界の怖さ。常識とは、多くの人が採用している、というだけなのに。

 

僕もたまに、こういうデザインの仕事を頼まれる。
内容を聞いて断ることも珍しくない。そういう依頼には共通の要素があるので、以下にいくつか書き出してみる。

  1. 流行りものをパクる。
  2. とりあえず英文を入れたいが、内容は考えていない、あるいは稚拙。
  3. 仲間内では「めっちゃ受ける」が、外からの目ではそれほどでもない、あるいは酷い。
  4. 初稿で満足。修正不要。
  5. メンバー全員が喜んで購入することを前提としている。

この小田原市の職員ジャンパーは、1.2.3が当てはまる。1に関しては、リバプールFCが気の毒である。2の「英文好き」は、これはもう日本人の宿痾といってかまわないだろう。英文が書いてあれば格好が付く、と考える人の英語力に関しては、またいつか書きたいと思う。ちなみに我が家のトイレには「Endless Nature」と書かれたスリッパがある。

小田原市は関係無いが、この種の依頼をする人は、まず間違い無く「タダだから」という理由で、素人に頼む。
いや趣味で絵を描いているけれど、だからこそやりたくない事はしたくない訳で…と説明すると、ものすごく心外そうな顔をする。だからこそ受けない、なおさら強く、断固として断りたくなってしまう、のだけれど。

しかしみんな、「est.20xx」が大好きだ。バンドTシャツからお店のユニフォームまで、どうして大した歴史も無いのに、創業年を英語で書こうとするのか。日本語で書いたら滑稽だと思うが、どうなのだろう。

 

素人デザインの観点はともかく、仕事と個人という関係から考えると、この職員達の発想は実に危うい。
自ら進んでブラック企業を目指しているのと同じことだと僕は考えるのだが、どうだろう。または、会社の飲み会を実質的に強制する職場と同じと言っても良いかもしれない。
一言で表すと「部活の感覚」なのだ。
部活動のように仕事に携わるのは個人の勝手だが(わりと多い。そうでない人を攻撃する傾向にある)、それは真摯さとは程遠いし、公務員だとしたら大変に迷惑である。ずいぶん無責任な“やる気”だと思う。

 

ここまで書いて、ふと思った。「小田原市の職員達は、このジャンパーの意味するところをきちんと考えたうえで、昏い愉しみとして、悪意の発露として、仕事の際に着用していた」可能性について。そうなるとまた別の酷い話になるのだが、まあそんな事は無いだろうと考えている。
ただ世界が狭いだけなのだ。仕事に対して不誠実だっただけなのだ。たぶん。

 

 

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