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昔の手帳は開かない

コンピュータと通信技術の発達により、本当に便利な世の中になった。今のところ「負の側面」は、それほど実感せずに暮らしている。正確に言うと「ネットの闇」との遭遇は日常茶飯事だが、それを「ネットならでは」とは思っていないため、特段の問題としていない。

 

 それよりも「なぜこれが無いのだ」と考える機能(アプリケーション?サービス?会社?)が、いくつかある。

そのうちの1つ、「自分史整理サービス」は、ぜひ現時点の技術レベルで実現して欲しい。

いやどこかに存在しているのだとは思う。しかし例えばApp Storeで、4000円くらいの価格で、日本語版は無くて、データを専用サーバーに保存するベンチャー企業製のアプリケーションでは困るのだ。なにしろ自分史だから、できるだけこぢんまり管理をしたい。クラウドなども、信頼のおける会社がいい。

 

Facebook等のプロフィール項目と各種機能を駆使すれば可能な気もするけれど、今のところFacebookにはそこまで個人情報を渡したくない。Facebookには信用のおけないところがある。「そこまで共有したくないし、そもそも友達そんなに欲しくないし」と思ってしまう状況が、多すぎる。

 

 

具体的には、こんな機能が欲しい。

  • 誕生から現在まで、折々の節目が年表形式で確認できる(卒業や転職の年など)
  • 各年または日付けから、ウィキペディアなどの「その時にあった日本や世界の出来事」を確認できる
  • 家族のイベントも確認できる
  • マイドキュメントフォルダに保存された写真が時系列に確認できる
  • 「ミュージック」フォルダの音楽データも自動で年表と紐付けする
  • それぞれの要素はタブかレイヤーを用いて表示と非表示を選択する
  • ブログも同様に紐付けする
  • 預金額や財産の出入りも概観できる
  • データは自分で管理。バックアップをクラウド・ストレージに保存するならば、厳重に暗号化する
  • 僕が死んだら、データは消える

 

要は、年表と、パソコンやネットワーク上の情報を、まとめて紐付けし、確認したいのだ。

画像なら「アルバム」や「iPhoto」が、音楽ならば「iTunes」に、それぞれ時系列に並べる機能がある。

 個人の経歴は、EvernoteでもWordでも、何かに書き留めておけばいい。

 その年に何があったのかは、ブラウザで検索すれば、すぐにわかる。

でもそうではなくて、簡単に一元的に、並べて見てみたいのだ。

 そうやって掴める時代感覚も有る、と思う。

日常生活で過去を振り返る場面なんて、ほとんど無い。無いけれど、あれば便利くらいの気分で「欲しい」と思う。

 一昨年の就職活動(転職活動)では、履歴書の「経歴」欄を書くのに、本当に困った。学歴は調べればわかる。職歴だって、概ね把握している。しかし、ある時期に何をしていて、その時に世間はどういう状態だったのか、がぼんやりしているのだ。

特に病に倒れ、休職し、退職し、療養しながら勉強や訓練や小さな仕事をしていた数年間のことがわからない。曖昧模糊、という言葉がぴったりの数年間。アウトラインと、印象と、データは有るのだが、きちんと形にはなっていないし、今からきちんと整理するのも骨が折れる。

 

最近、働きながら「昔取った杵柄」について話す必要が増えてきた。何を成し遂げ、どういう失敗をしたのか、は簡単に話せる。覚えている事しか話せないのだから、仕方がないともいえる。

でも「それはいつ、具体的に何年くらい前の話か?」と聞かれると、上手く答えられない。

 就職にあたり、今のところ嘘は言っていない。ただ「メンタルヘルス関係に大きな問題があって、仕事を辞めました。何しろ病んでいたから、細かいことはわかりません」とまでは、同僚や上司には伝えていないから、ますますややこしくなる。

普通に健康な職業人は、その辺りをしっかり把握できているようなのだ。

これは自分の脳と性格の問題だと思う。ある種の欠損、障害ではないかと思っている。障害ならば、テクノロジーで乗り越えるのも、ひとつの克服だろう。だからこその「自分史」なのだ。

 

 例えば「あの3月11日に、何をしていた」と聞かれることもあるだろう。

もちろん覚えている。

 「静岡市葵区のbikiniでスコーンを購入していました。店のガラスがぐわんぐわんと歪んで、帰宅してテレビをつけたらとんでもない事になっていました」とは、十年後や二十年後にも、きちんと言える。

でも僕はもう、多くのことを忘れている。あの日の前にどんな出来事があって、どういう生活をしていたのか、明確には思い出せない。全体の「流れ」は忘れないが、細部がどうにも心細い。

ブログは毎日、それこそmixiを始めた時から続けている。だから検索すれば芋蔓式に思い出す事が多々ある。写真だって、その機会が無いから見返さないだけで、きちんとデータが残っている(学生時代のデジカメ画像だってハードディスクには保存されている)。ただ、活用できていない。
実は写真については、「◯年前の今日はこんな日でした」と、写真ライブラリから提示するアプリを使用している。Macにもスマートフォンにも、それぞれインストールしてある。自動で教えてくれるのは結構だが、たまに「うっ」と思うことも多い(恥の多い人生だ)。それから圧倒的に甘い食べ物、加えてお弁当の画像が多い。
8年前の僕は、玉子焼き(ほうれん草入り)、インゲンの胡麻和え、サツマイモとリンゴとレーズンのシナモン煮、大豆の辛子酢醤油漬け、にんじんマリネ、という内容のお弁当を作っていたらしい。
たしかに自分が用意しそうな内容ではある。ただ少し不思議には思う。ずいぶん遠いところに来てしまったな、と思う。

 

肉体の、特に脳の延長として、あるいは人生の補助としての自分史アプリが生まれるに充分なデータと能力が、現代のパーソナルコンピュータには備わっている筈だ。

 誰のためでもない、自分のために、そういうアプリケーションやソフトウェアが欲しい。必要なら個人情報を切り売りしてもかまわない、くらいに切実に願っているので、Appleは次のOSXに搭載して欲しい。「カレンダー」の拡張版、あるいはファイル管理ソフトとしても、便利に使えるだろう。

 

 

全く関係無いが、服屋や靴屋は、オリジナルアプリのミニゲームを充実させる前に、「自分はこのブランドの服の場合は、概ねMサイズ」といったメモ機能を搭載して欲しい。もちろん試着はするし、サイズの間違いは自己責任だが、それでも記憶の補助として、それくらいは各アプリが助けてくれても罰は当たらないと思う。実は僕は、ズボンのウエストサイズをたまに失念する。

 

 

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

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