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好景気かも、と思ったこと。

仕事

久しぶりに、もしかして景気が上向いているのかもしれない、と実感する出来事があった。
今日、隣の部署で2人の契約社員が退職届を出したのだ。先々週は別の部署で2人辞めた。それぞれ10人に満たない部署、かつチームで長期間のプロジェクトを進行中、噂になるような酷い人間関係も聞かない、でも辞めてしまう。理由は給料の安さ、と本人が語っていたという。

待遇の向上を求めて転職をする、というのは景気が良くならなければ怖くてできない。
求人情報を眺めても「あーどこも同じだ。我慢するか…」と考えるか、「あれ、これなら少し頑張って就職活動をしようか」となるかは、やはり給与・手当欄の数字だと思うのだ。

ももちろん、残されて仕事が増え、そして転職も失業も経験をした事のない人達にとっては、これは理解の埒外である。
つまり「最近の人はすぐに辞める。待遇が悪いからって、頑張ろうとしない」と言う。
ここに大きなミスマッチがある。誰だって今と先を見据えて、ついでに毎月の明細も見据えて仕事をしているのだから、そんなに「あっ、給料安いや。仕事大変だ。辞めよう!」とは考えない。それくらいの大雑把な価値観は、一緒に働いていればわかるだろうに。
それに、頑張っても待遇に反映されなければ、見限られても当然。「お前のやる気は、いつも見ているよ」だけでは、誠実な関係とはいえない。
もっと言うと、そうやって迷惑顔をしている人達もまた、「最近の人」なのだ。当事者としての想像力は惜しまないで欲しい。

 

この会社では、非正規雇用の人間が期間満了前に辞める際には、ひとつの仁義がある。それは「不満点を人事担当者や上司に伝える際に、とりあえず待遇面も語る」ということ。メインテーマが人間関係であっても転居であっても、待遇に“も”不満があった、と言い残す。その積み重ねで、残された同胞(?)に、僅かでも待遇向上の可能性という種を蒔いていこう、と伝えられ続けている。

で、その半分冗談の伝統も、最近では偉い人達に悪用されている。
「あの連中の“待遇が悪い”は、本気ではないのだ」とベテランや地位の高い人達が話しているのを何度か聞いた。
「いやいや、さすがに面談の場で、自分の金銭的な状況が苦しいなんて話を、冗談だけで言う社会人はそれほどいないだろう」と僕などは思ってしまうのだけれど、どうなのだろう。本当につまらない言い伝えならば、とっくに廃れている。
会社の会計報告などを聞いても、下々の苦しみなど想像できない程に皆が潤っている、とは思えないのだが。

 

ともあれ待遇に不満があるのは僕も同じである。
ワークライフバランス結構、残業が減ったのは有難い。でも、仕事の量が減らせないのならば、仕事の密度だけが上がって、つまり仕事あたりの給与が減ってしまっているのはマルクスじゃなくてもわかるし、日々感じている。
そういうのは、特に時給日給で働いている“層”のほうが敏感なのだと思うが、しかし職場の人達のほとんどは「ワークライフバランスの向上を、効率アップで達成しよう」というスローガンに何の疑問も持っていないように感じる。仕事と生活の関係は、拘束時間だけではなくて、もちろん給与その他の待遇も含まれている。
言っても詮なきこと、だとしても、大切な建前である。建前はきちんと立てておくのが大人であるのだから、今日はそのことを「期末の面談」で上司に言ってきた。「真面目だねえ」って言われたが、まあ、とりあえず自分にプラスになる可能性に関しては真面目に関わる所存であります。

 

 

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希望の国のエクソダス (文春文庫)

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命の結晶を食す

サイエンス 健康 生活

うずら卵 水煮(輸入) 430g

仕事帰りに立ち寄ったショッピングモールで、細々とした買い物をしてきた。なんだか疲れていて、日用品の買い物ですら効率が悪い。でも、少し遅いが深夜ではない時間帯だと、そうやってぼーっと歩いている買い物客が多い。これが深夜営業のスーパーだと、逆に元気な人達と、あるいは幽鬼じみた人とに二極化する。

 

それはそうと、そのショッピングモールに入っていたオーガニック食材のお店で、ウズラのたまごを売っていた。大きく「生命の卵」と書かれている。ウズラのたまごは孵化させやすい事で知られていて、だから「生命力に溢れている=生命の結晶である=身体に良い」らしい。
僕にはなんだかグロテスクな発想に思えるのだけれど、なるほどねーと納得しながら購入する人が何人かいたので、「孵化の可能性」というのは摂取に値するナチュラルヒーリングパワーなのかもしれない。

しかし医学的な根拠は一切無いだろう。
最近は下火になったけれど、以前はよく「有精卵」が珍重された。我が家でも、有精卵かつ「自由に鶏舎を歩かせた雌鳥が、地面に産み落としたたまご」を定期購入していた。
あれもまるで根拠に欠ける信仰だった。有精卵ならばある程度の細胞分裂が進んでいて、栄養の割合は変わっているのかもしれないが、それでもわざわざ選ぶ程の違いも無いと思う。せいぜい精子ひとつ分の栄養が追加されているだけだ。玄米と発芽玄米ほどの差異も無い。
それに、ほぼ固定されたように並んだ鶏からたまごを回収するのも、鶏舎で産んだたまごを拾うのも、生き物と人との関係から見ると、ほぼ誤差の範囲で同じ行為だと考えるのだ。どこが自由なのだ、とさえ思えてしまう。
黄身の色とか盛り上がりも、要は鮮度や餌の色だったとカラクリが判ってからは、あえて高いたまごを買う人はさすがに減ってきた。
今となってはよくわからないもの、それが自然食材界隈には多い。

 

しかしやはり、この「命の結晶」を喜んで買い、何らかの功徳なり効能を期待して口にする、という発想には、独特の凄味がある。戦で勝った側が相手の肉や臓器を食べてその力を我が物にする、そんな風習が人食い文化の根底にあると読んだが、それを異種の、しかも卵に適用するのだ。
健康に魂を売った人間、という表現が頭に浮かんだ。勝てる気がしない。

 

 

【豊橋産】うずらの卵 『生命の卵』 30個入り
 

 

暮しの手帖別冊 徒歩旅行

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キンメダイの湯煮を作る

家事 料理 生活

家族は石垣島に行ってしまった。
元気な人達だ。そして、羨ましい。

というわけでしばらくは自炊の日々。
今日は「湯煮」を作ってみた。

耳慣れない料理名だが、要は魚を沸騰しない程度のお湯で加熱する、というもの。湯を煮込む訳ではない。今回は生の「キンキ」を使った。キンキというのは、一般に言うところの金目鯛の事で、地元では妙に安い時がある。

 

「湯煮」ってナニ?/魚の理想的な調理法 - | 日刊水産経済新聞

 

 

作り方の詳細は上記のリンクを参照。
書き出すと、こんな感じ。

  1. 魚の切身全体に薄く塩を当てる
  2. 鍋かフライパンで沸かした湯に、少量の酒を入れる
  3. 魚を入れ、沸騰しない火加減で3〜5分加熱し、取り上げる

確かに失敗する要素がほとんどない。酒は塩をした後に振りかけたほうが少なくて済むだろう。
魚に塩振る、お湯沸かす、酒振る、火を止める、魚入れる、蓋してしばらく置く、取り出す、おしまい、そんな手順。ソースやタレの類を作る時間と手間のほうがかかっている。

あくまで加熱するためのお湯だから、“上手にできた湯煮ほど、ゆで汁には何の味もない”と書かれている通り(なかなか凄い表現だ)、湯は出汁にもならない。
テフロン加工のフライパンは一般に少し深めだから、あれが一番やりやすいと思う。

今日は冷蔵庫にあった「食べる辣油」みたいなもので、刻んだネギと桜エビを炒めたものを添えた。
煮魚とは違った味で、しかもアレンジもしやすい。後片付けが楽なのが、何より嬉しい。

 

塩がきつかった塩鮭を煮ることがある。お弁当屋などでも、焼き魚のかたちをしているのに実際は煮て加熱しているところもあるという。加熱が目的なのだから、確かに合理的なのだろう。
しかし沸騰させない、という工夫でここまで格別に美味しくなるのならば、ホイル焼き程度の普及をしてもおかしくないと思う。味付けのアレンジも、最初はホイル焼きの要領で広げられると思う。

 

あ、動画があった。


結構しっかり煮ている。湯の量も多い。これはカニでいうところのボイルか。僕が作ったものとは違う。

 

家庭の煮物に「ダシ」はいりません (青春新書プレイブックス)

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えぞ式すーすー茶

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映画「ひるね姫」

映画

今日はまるでぱっとしない1日だった。
無理に外出することは無い、家で趣味工作家事その他を進めよう、とのんびりしていたら、いつの間にか夕方に。こりゃあ休日が勿体ないと外に出たものの、そして喫茶店でコーヒーなど飲んでみたものの、その店が本当に酷くて、全体に反省モードである。
しかし僕は思うのだ。昭和っぽい喫茶店は、「昭和レトロなお店です」と貼り紙等で店側が主張しては“台無し”である。「懐かしのプリン」とか、そういうのはチェーン店の企画課の仕事だと思うのだ。



それはそうと、一昨日に観た「ひるね姫」の感想を。
映画館を出た時の周囲の雰囲気や、その後のネットのレビューからは、「思っていたのとは違う」とか「なんだかよくわからなかった」という感想が多い様子。
たぶん予告編や、冒頭のシーンから、ミスリードというか誤解をして、つまり「これは、こういう映画なのだろう」と思いこんだ事で、終盤に至ってそうではない類の作品だった事を上手く消化できていないのだと推測する。

冒頭の「夢」のお話からは、なんだか「心を蔑ろにした、機械と科学に支配された悪い世界」と、それに対抗する天真爛漫で自由闊達な「魔法のお姫様」のストーリーが想像できる。よくある陳腐な話だ。僕はこのまま「フクシマ」とか「放射能」を象徴する何かが出てきたら嫌だなあ、なんて思ったものだ。

でもこの映画は違う。
魔法というのはソフトウェア技術であり、「王国」のハード屋との対立や協調が、物語の大きな柱になっている。
主人公の女の子(とてもよく動く、元気で魅力的なキャラクターだった)が寝るたびに訪れる、現実世界とリンクしているような「王国」のストーリーもまた、ファンタジックな要素が実はほとんど無い。
これが「おおかみこどもの雨と雪」の監督だったら、きっと後半は現実が侵食されて、少女の想いが奇跡を起こすだろう。
そうではなくて、どこまでも技術と行動で、現実に生きる人間が現実的に問題解決に当たる、要はエンジニアがエンジニアリングを頑張るという、「プロジェクトX」みたいなお話と、企業内紛争に伴う軽犯罪と、少女が御都合主義的に掘り下げる父母の過去、それが1本のストーリーとなっている。

奇跡・ミラクルの類は、僕が認識できたのは1つだけ、でももちろんここには書かない。
きちんと感動するし、瀬戸内海の風景はとても美しい。メカニック描写も格好良いし、「夢」パートの楽しさも特筆できる。
でも、どこか理知的なのだ。エモーショナルかつロジカル。
なるほど「Stand Alone Complex」の監督だ。

 

そういえば、ひとつ面白かったのが、この映画では「反省して心を入れ替える」人がいない。僕が覚えている限り、だれひとりとして安易な変化をしない。
各人がその少しずつ代わり、でも今までの生き方も否定しない。映画の明るい雰囲気には合っていた、と思うが、同行者はそれほど気にしていない様だった。

夢から始まり日常と現実を描き、未来へ到達する。今の時期だからこそ楽しめる、自動化モビリティと人間のお話。
この作品に限っては、不思議は本題ではなかったのだ。そこは歪というか、この種の「爽やかな劇場アニメ映画」の定石から外れている。なんで外れたのかは、よくわからないけれど。

 

ひるね姫~知らないワタシの物語~ (1) (角川コミックス・エース)

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神山健治Walker ウォーカームック

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映画「この世界の片隅に」片淵監督舞台挨拶とサイン会

映画 静岡 Art





昨年に観て大感動した映画「この世界の片隅に」が、お気に入りの映画館「静岡シネギャラリー」で始まった。もう1回、観ておきたいと思っていたところ、なんと監督の舞台挨拶があるという。

整理券の配布は朝の9:30。たぶん、思いっきり混むであろう、という友人のアドバイスに従い早めに列に並ぶ。40番台の整理券を入手できた。

映画は14:25から。一旦帰宅し、昼食後に出直す。
余裕を持って家を出たのに、事故渋滞その他の事情でぎりぎりの時間に到着となった。途中で目についたコインパーキングに車を置き、自転車で急ぐ。こういう時、折り畳み自転車の機動力は本当に便利。ただし駐車場代が想定より高くついてしまった。

 

のん、呉へ。 2泊3日の旅

のん、呉へ。 2泊3日の旅

 

 

映画は、もちろん素晴らしかった。
たぶん僕の友人知人ならば、ほとんどの人が気に入ってくれるのではないか。別に宣伝をする訳ではないが、このブログを楽しんでいる人にも、何かしら波長が合う部分がある、と思っている。でも上手く説明できない。

 

しかしこの感動は何なのだろう。
話の筋は把握しているし、どういう名場面、見どころがあるのかも、今はインターネットを介して色々と知ることができる。でも引き込まれてしまうのだから、やはり大した映画だ。
今回は1階の大ホールでの上映で、ここはスクリーンの品質はそこそこだけれど、音響はなかなか良い。笑い、泣き、最後には盛大な拍手。この辺りは、さすがに舞台挨拶に来るだけの(つまり朝から並ぶだけの)人達ならではの一体感だった。

監督の挨拶とスピーチも本当に楽しかった。
それほど長い時間ではない。
静岡といえばちびまる子ちゃんの制作で繋がりがある、といった思い出話から、映画のエピソードと現実との繋がりを調べ、そしてそれを実感するために、例えば原作にある「戦時中なので、野草を摘んで食事にした。塩の配給が滞っているため、塩抜きの料理になった」という状況を、きちんと試したのだという。その不味さ、味気なさが映画を作るにあたって大切なのだと。

誠実さ以外は本当に普通の人にしか見えない監督の、木訥な語りを聞けただけでも、今日は静岡市まで行った甲斐があったというもの。
おまけにサインまでいただいてしまったし、少し会話もできた。
作品のファンになっても、作り手に会いたいなんて普段は思わないのだけれど、この映画に関しては例外だ。

短い、質疑応答もトークショーも無い舞台挨拶。でも、まるで親友の(良い雰囲気だった)結婚式の後みたいに、知らない人とでも「良かったねえ」と言い合えてしまう、不思議な親密さがあった。

前にも書いたが、この映画に出会えて本当に良かったと思う。
漫画が原作のアニメーションでも、世界の片隅を切り取ったものなのだと監督は行っていた。つまり映画と現実は繋がっているのだ。今日はそのことをずっと考えている。たぶん寝るまで考えるだろう。

良い1日でした。
映画が好きで、良かった。

 

 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 

 

映画&ケーキ(日常)

ケーキ コーヒー Cafe 映画 静岡



映画を観た(ひるね姫)。

車の定期点検もした。

昼食に入ったピザ屋(新静岡セノバの隣の、ペガサート1階)は、それはそれは酷かった。もう行かない。ピザはそれほどでもないけれど、接客その他の印象があれほど悪い飲食店も少ないのではないだろうか。

それから、夕方からは親戚の家でちびっ子達と楽しく過ごした。

そんな、書くべきことはたくさんある1日だったのだが、いつの間にかこんな時間。明日は早いため、もう寝る。それに、今日は本をどっさり購入したから、目を通しておきたい。



 

 

https://www.instagram.com/p/BRxdCxWDPNM/

とりあえずケーキについてだけ書く。

お気に入りの「笠井珈琲店」へ、映画の後に行ってきた。セノバのシネコンの後はこの店が個人的定番。おやつには遅いが、夕暮れには早い時間帯だった。
今日は店主さんから声をかけてきた。
「ハーフ、でいいですか?」
これはつまり、「いつも注文する、1/2サイズのアイスコーヒーと、温かいブレンドコーヒー、クリーム無し、のセットですよね」という意味だ。いつの間にか顔を覚えられていた。他のお客さんが、ちょっと驚いていたようだ。
このアイスコーヒーは、少し甘くて、濃い。クリームが上に注がれていて、どうやら混ぜずに飲むのが作法らしい。
ブレンドコーヒーは、わりとたっぷりの量。クリーム無し、を指定するとさらに増量される。ブラックで飲むのならば、まず選択しておきたいオプションである。

そして、僕がケーキを迷っている間に、少し薄めに、でも普通に満足できるサイズの綺麗なケーキが皿に載ってやってくる。これはサービスというか試作品のお試しということらしく「ラズベリーのバタークリーム・ケーキ」だと説明される。ここでまた他のお客さんの会話が止まる。
なるほど有難い。でも自分はきちんと注文もしたい。だから、お礼とともに、自身の選択も伝える。「フルーツのパウンドケーキをお願いします」と。
するともちろん、フルーツのパウンドケーキも供される。

なかなか壮観な眺めとなる。
小さめのグラスに入ったアイスコーヒーと、大きなカップ入りの温かいコーヒー(途中で注ぎ足してくれた)。
そして、鮮やかなピンク色のバタークリーム・ケーキに、しっとりして量感のあるパウンドケーキが並ぶ。
甘みが上品で、コーヒーも飲みやすい味だから、これが全てすんなり入ってしまう。バタークリームといってもラズベリーの酸味が効いていて、爽やかささえ感じる。
もっと食べ応えのある、例えば「ガトーバスク」だったら、ちょっと大変だったかもしれない。

でもやはり、バタークリームのケーキとパウンドケーキだから、夕食前にあまりお腹が空かなくて困ってしまった。ちびっ子達の食欲が旺盛、そして大皿から銘々に取り分ける料理ばかりだったから良かったものの、やや贅沢に過ぎる気がしている。
しかし美味しいケーキだった。コーヒーもそうだが、今日のおやつこそ、「存分に楽しむ」ことの体現だったと思う。

 

では寝ます。
映画については後日。普通に美味しい、という表現があるが、そんな作品でした。

 

神山健治Walker ウォーカームック

神山健治Walker ウォーカームック

 

 

 

まくらカバー

デザイン 家事 生活

洗濯の都合で、まくらカバーが無い状況に陥った。
古びたものは洗ってから細かく切り裂いて、工作用のぼろ布にしてしまった。それから、予備というか過去に使っていたものを引っ張り出すつもりでクローゼットを漁ったのだが、どういうわけか見つからない。

まくらカバーなんていくらでもあるだろう、とは思う。わりと頻繁に買い換えているし、畳めば小さくなるので「何かに使えるかも」と古びていても保管はしている筈だ。いつもいつも(ウエスとして)切り裂いているわけではないのだから。

でも見つからない。
探して夜の時間を無駄にするのもなんだか悲しい。
とりあえず、Tシャツを着せてみた。
買ったがあまり外では着ない「ヘムレン氏」のプリントされたもの。
これがわりと良さそうな雰囲気。手触りも良いし、余った部分を折り込むと、本当にまくらカバーみたいなのだ。
首のところは折り方を工夫して隠す。ヘムレン氏は、悪いけれど裏側に回ってもらう。

大昔、車のシートカバーにTシャツを使う、という文化があった。
まだ4WDの車にカンガルーバーを付けるのが格好良かった時代だ。Tシャツのシートカバーは廃れたが、未だに「バンダナをヘッドレストに装着」は見かけることがある。いかにもバンダナ、という柄と色がほとんどだから、たぶん意識してあのスタイルを維持しているのだろう。ちょっと面倒くさそうな老人(カウボーイハットを被っていて、あえて軽トラックに乗っている、みたいな人)だと、それっぽいと思う。

とりあえずまくらカバーは、明日か明後日に買う。
いつもなんとなく麻か麻と綿の混紡を選ぶが、まくらに限っては生成りの麻素材は洗っても洗っても薄汚れた感じになるのが早いと思う。あれは、なぜだろうか。白い麻だと平気なのだが。

 

https://www.instagram.com/p/BRvcOx2jc-C/

ところで今日は、無印良品で「歯ブラシスタンド」を買ってきた。
可哀想に、半額以下。思わず2つ購入。
といっても、歯ブラシは立てない。ペンスタンドにする。
いくつか特定の場所に、よく使うツールを立てておきたくて、専用のペン立てとして活用する。大人になると、ペン立てまでは必要とはしないし、あれはあると何でも突っ込んでしまう。
というわけで、iMacの前にひとつ(タブレット用のペン)と、工作台のところにひとつ(デザインナイフ)を配備。以前から使っていた陶器のものは、ボールペン立てとする。

陶器製より、重さと頑丈さが心強いです。これは良い買い物だったと思う。

 

長く使える ずっと愛せる「無印良品」探し

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