暑!

勤め先の駐車場は未舗装の空き地で、今の季節は人や車が通らない部分は膝の辺りまで草が生えている。
つい先日まで小さなアマガエルがたくさんいた。
夏なのだから蚊が心配なのだが、少なくとも朝夕と昼にはまるで遭遇しない。小さな羽虫、特に蚊は35.0℃を超えると活動が鈍ると何かで読んだが、現在はその環境なのかもしれない。

暑いといえば、もう定番の挨拶みたいに「こんな季節にオリンピックをやるのかねえ」なんて話をするようになった。
軽口ではあるのだけれど、しかし実際にスポーツ選手の立場になったら、これは冗談ではない。世界に挑むチャンスが一生に一度という人もいるだろう。それがこの暑さで悪い記録になってしまったら無念だろう。あるいは多くのチャンスがある人ならば「あ、オリンピックは止めておきます。別の(快適な)世界大会で頑張ります」となる。
観戦する人間、観光がてら訪れる人間の暑さは当然ながら、選手(たぶん主役)の事を考えたらやはり日本の、東京の夏は駄目だ。

しかしざっと検索した限り、東京オリンピックへの意見窓口はWeb上に見つからない。誘致活動の際はあんなにあちこちに「声」を届ける場所があったのに勝手なものだ。
父が趣味の活動で国会議員と付き合いがあって、1年に1回程度は顔を合わせる。その時に父や趣味仲間が「どうにかならんか」と話してみたところ、「あれは都政の事なので…」と逃げられてしまったそうだ。「ジャンル問わず生活から政治までどんな話でも聞きますよ」と持ちかけられたにもかかわらず、とのこと。
せめて話を最後まで聞いてくれても良いものだが、どうにも最近の与党政治家は優しい嘘をつく手間や配慮すら省きたがる。

 

暑さとスポーツ、の話になるとやはり語りたくなるのが高校野球
あれ、たぶん死人が出るまで「甲子園」にこだわると思う。

実際に誰も死んでいないじゃないか、という人はリスクというものをわかっていない。
そもそも、スポーツで苦しい思いをするのは、スポーツそのものの要素にできるだけ極限すべきだろう。これでは暑さ耐性を競う場だ。

賭けてもいい。
何か適当に理由をつけて、日本高等学校野球連盟朝日新聞社や国が「今回からドーム球場にします」と決めてしまえば、3年で文句を言う人はいなくなる。少なくとも切実な文句は誰も言わない。
他の多くの物事がそうだったように、人はすぐに慣れる。少なくとも“物語”は、暑さ寒さよりも重要度が低いからあっという間に書き換えられていく。
当事者である高校生の「想い」は、正直なところ大人が描いたイメージに沿っているだけなので、本気にする必要は無いだろう。それでも甲子園に行きたいという人には、バスツアーでも練習試合でも秋冬にさせればいい。
ちょっと乱暴だけれど、夏の高校野球は「時代にそぐわない奇祭」になっていると僕は考える。あの、メガホンと応援団とブラスバンドが作り出す、統率と涙と汗の応援席も含めて*1

 

 

先ほど庭に出たが、やはり蚊には刺されなかった。
今の時代は農作物への影響が少ないけれど、戦前なら間違いなく飢饉へ繋がる暑さだと思う。我が家はキュウリとナスが育ちすぎている。暑いので乾燥野菜作りは捗る。ナスは半乾燥が美味しい。

 

 

干し野菜百科

干し野菜百科

 
干し野菜のすすめ

干し野菜のすすめ

 

 

 

 

*1:学生時代、留学生にどうしても上手く説明できずに(どうして試合を見ないの?観客なのに延々と歌うの?)、結局最後は「あ、シューキョーですね」と変な納得をされてしまった。

リングを磨く #無印良品

連休明けにしては酷いじゃないか神様、というくらいに忙しい仕事を片付け、這々の体で帰宅。

先ほどまで輪っかを磨いていた。

無印良品の、たぶん新製品。
普段はリング型で、開くとS字型になる。そして、かばんなどを一時的に引っ掛けるフックとして使える。
旅行用品としてひとつあると便利、という品だ。

同様のものは既に持っていた。
ただしそれは金属製で重く、なにやら無意味な英文(Perfect World Travelers)が刻んである。高くは無かったが、気に入ってもいない。

無印のこれ(トラベルS字フック)は400円以下と安く、プラスチック製でとても軽い。毎日使うものではないから、安くて軽いのは大歓迎。ぱーふぇくとわーるどとらべらーず、と書いていないところも素晴らしいではないか。

色は4色だった気がする。黒と白を購入し、出張用かばんと、旅用かばんにそれぞれ装備した。リング型にしてぶら下げておけるところも気に入っている。

これくらいの輪っかがひとつあると意外と便利なのだ。
ストラップ付きのものをとりあえずまとめたり、布を束ねておくのに役立つ。

 

ただし表面の仕上げが良くない。
価格相応なのだろうが、いわゆるヒケが目立つ。細かいシボは悪くないけれど、平滑であるべきところに凹みがあっていかにも安プラスチック製品という趣き。バリもあちこちにある。

 

というわけで磨いてみた。
600番のサンドペーパー、1100番の水研ぎ用ペーパー、そしてプラスチック仕上げ用の研磨剤入りペースト。最後にワックス入りのクリーナーを使う。

写真に撮ったが違いがわからないから掲載しない。
ただし、表面のうねりが消えただけでずいぶんと印象が違ってくる。
磨き方が足りなくて艶消し状態になってしまった。もっと時間をかければきちんと光沢も戻るだろう。しかしこれで十分。

 

400円以下の品を15分ほど磨いて、ようやく自分の「使いたいもの」になった。これは安いのか高いのか。無駄なのかそうでないのか。
どこかに忘れることもあるだろうし、そもそもそれほど出番の無い道具ではある。でも、旅の道具は自分好みのもので揃えたい。価格だけの問題ではない。

 

そんなわけで、今日は、仕事して、帰宅して、リングを磨いただけの火曜日だった。もう寝ます。おやすみなさい。

 

磨く必要は無いけれど、道具としてはとても便利なこのリング。おすすめです。気まぐれに買ってかばんに放り込んでおけばいつか役に立つ。あるいは役に立つ気がする。そういう軽い道具は持っておいて損は無いです。

 

 とはいえ別に(登山用品ではない)カラビナや、100均で売っているプラスチック製のS型フックでも機能的には十分なのだけれど。

ジムニー焼きそば引きこもり

 

ジムニーSUPER SUZY 2018年 08月号

ジムニーSUPER SUZY 2018年 08月号

 

 

友人が新しい軽自動車を買った。
スズキのジムニー
二昔前のデザインを現代的にした雰囲気。僕も新しいジムニーは好きだ。走っている姿は単純に「あ、懐かしい感じ」と思っただけだが、停車中にじっくり見ると細部が凝ったかたちをしている。自分は専門家ではないからわからないけれど、ちょっとした形の工夫がちょうど良い洗練さを生んでいると思う。ただ昔っぽくシンプルに四角く作っていてはこうはならない。
友人は「鉄板で作った箱みたいな」古いジムニーを修繕して乗り続けていた。特に山道を走るわけでもないし、もっというと特定車種のファンクラブや自動車修理工場の常連みたいな集まりも苦手で、だから維持管理はそれなりに苦労していた。それでもその古い箱のような軽自動車をデザインのみを理由にして乗っていたのだ。
そういう人にとっては、今回のフルモデルチェンジは願ったり叶ったりではないだろうか。何もかもが豪華、そしてハイテクだ友人は喜んでいた。
トヨタマツダハイブリッドカー2車種を乗ってきた自分としては、新しいジムニーは現代の車としては簡素だと思う。
後席などワゴンRなどに比べてもベンチっぽいが、しかし子供の頃はもっと簡素な椅子の軽自動車で不満に感じなかった。だから簡素といはいえ問題にはならないのではないか。ローマ法王を乗せるわけじゃない。

性能やメカニカルな観点からは自動車趣味といえない、あくまで外観のみで古い車を乗り続けるというのはそれなりの覚悟が必要だと思う。気に入ったかばんを修繕し続けて使うのとは訳が違う。友人が楽しそうなのが何より嬉しい。

 

 

 

自動車メーカーは名前や“キャラクター”を受け継ぐことに熱心で、デザインをあまり大切にしていないように思える。
機械設計に詳しい知人が言っていた。技術的な成熟により、そろそろ「よくできたデザイン」をしっかり保つ方向で新しい車を作る時代がやってくる。燃費や安全性やその他の機能を時代の要請に合わせつつ、今まで好評だったデザインを継承できる、そういうレベルに自家用車が到達しつつあるという。それこそ、かばんや靴のように。

この「昔からの優秀なデザインを残せる」進歩は保守や停滞ではなくて、より新しいデザインを生む原動力になるのではないかと自分は考える。
変えなくてもいいものを残せる、優れたものが残る世界だからこそ、新しいものは(新しい以外の)価値を試される。

単なるリバイバルブームではない、良いものをさらに良く磨く時代が来れば良いな、とジムニーの助手席で思ったのでした。

 

 

友人に会った以外はほとんど家に引きこもっていた。
これではいけない、と昼にせめて気の利いたものを食べようと家を出たのだけれどぴんとくる店も無く、近所のスーパーマーケットで麺だけ購入して家で焼きそばを作っただけ。

後は昼寝をしたり部屋の片付けをして今に至る、という連休最後の日。平和だったからまあいいや。

 

 

 

 

 

 

 

東に歩いてBLT、そして桃のショートケーキ。

車で静岡市の中心街へ行く。

駅の西側にある安い駐車場に車を入れたところで、トランクに自転車を入れていないことに気付いた。
整備および仕事の都合で先週末より倉庫に移していたのだった。

だから歩く。
東に歩きながら、買い物や展覧会や、ただのウインドウショッピングを進めていく。

最東端の目的地である「ALLEE RESTAURANT」は、自転車ならともかく徒歩ではいささか遠い。距離よりも今日はその暑さが堪えた。

先月に購入した帽子がとても役立つ。
最近は駐車場の係員や警備員(初老の男性)が日傘を差して仕事をしているが、確かに日差しを遮るというのは快適だ。
自分は今まで帽子をほとんど活用していなかった。今日は帽子が無ければ、街歩きを断念していたかもしれない。

お昼はALLEE RESTAURANTのランチのひとつ、サンドイッチのプレートを注文した。サンドイッチは定番のBLT。
ベーコンが厚いのが嬉しい。トマトはしっかりしているしレタスの量もちょうど良い。
付け合わせのポテトや小さな料理もこのプレートを注文した時の楽しみになっている。

今日は少し混んでいた。先日、ローカルテレビに登場していたからかもしれない。

 

帰り道はデパートなどを通りつつできるだけ涼しいルートを選ぶ。
普段は歩きながらペットボトルの飲み物は飲まないのだけれど、今日はどんどん飲んでいく。不穏とまではいかないものの、何かしら警戒すべき高気温と湿度であると皆が認識している雰囲気が感じられた。もちろん自分もそう考えての徒歩行動をしていた。

おやつは駅からほど近いMARIATHANKで。
この季節ならではの「桃のショートケーキ」とアイスティー。

甘くてとろりとした桃と、この店ならではの生クリーム(濃厚というか、ちょっとリッチな感じがする)がとても合う。
注文直前までタルトにしようかショートケーキにしょうか悩んだ。半分ずつ、という注文も可能な店だが、今日はフルサイズで楽しみたかったのだ。まさか1個ずつ注文するわけにもいかない。宝くじが当たったらそういう蛮行をするかもしれないが、普段は小市民としてケーキは1日に1個までと決めている。
以前、お饅頭を両手に1個ずつ持って交互に食べていたら阿呆にしか見えなかった。それにたぶん、2個食べても喜びは1.7個分程度になる気がする。それは嬉しくない。

桃のショートケーキを1個注文し、ゆっくりじっくり味わう。それが正しい幸せというものだろう。いや、桃のタルトも食べたかった気持ちも嘘ではないけれど、それは次のお楽しみとして持ち越すことにする。人はそれを希望と呼ぶのだ。

 

 

(文庫)全国かわいいおみやげ (サンマーク文庫)

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気持ちが伝わるおいしい贈りもの

気持ちが伝わるおいしい贈りもの

 

 

パイナップル・ケーキ(静岡)

静岡市の「Atelier Petit* Calin」にて開催中の台湾スイーツフェアに行ってみた。フェアといっても、大規模なものではない。お店全体が、店主が台湾旅行をした時に買った雑貨と、お店で作った台湾スイーツと、台湾スイーツ的なアレンジをしたケーキやデザートで占められている。

 

地元パン手帖

地元パン手帖

 

 

僕がお店に到着した時は、ケーキの類は売り切れだった。
アイスチャイ(台湾は関係無い。暑かったので)と、テイクアウトもできるパイナップル・ケーキを注文した。

パイナップル・ケーキ、台湾の定番土産で、老舗の名品から安直な(東京駅で売っていそうな)近代化バージョンまで各種あるが、こうしてケーキ店で真面目に作られたものはまた違った美味しさがある。
というか、鳳梨酥(おんらいそー)以外の何物でもない、でも日本のカフェで楽しむ味になっていて、なかなか得難い経験ができた。

チャイのストローひとつにもこういう浮かれた台湾風味があるあたり、素晴らしい。この飾りは持ち帰って、いま手元にあるけれど、しかし何に活用すれば良いのか?とりあえずUSBケーブルに着けてみよう。

 

お菓子の包み紙

お菓子の包み紙

 

 

 

帰宅時に色々と考えた。
今回のパイナップル・ケーキのように、メジャーな市販品のお菓子をあえてケーキ店が手作りしたら面白いのではないか。
例えば平家パイや汁粉サンドはどうだろう?日持ちや万人受けを考えず作れば、どんな品ができるだろう?
うなぎパイは、風味に寄与していない(であろう)うなぎエキスは省き、隠し味的なガーリックで“らしさ”を演出できそう。

 

 

 

自分はお菓子職人ではないからこれは妄想に過ぎない。
お土産のお菓子はその制限(コスト、日持ち、万人受け、見た目)の下でこそ生まれた味わいがあることはわかっている。でも誰か、作ってくれないものか。
絵本のお菓子を再現すると多くの人が喜ぶ。ならば、ケーキ店がその店の水準でメジャーな土産品を作ったら、楽しむ人はいると思うのだが。ルマンドやオレオでも歓迎します。

 

 

お題「思い出の味」

「学校でプリッツを食べた奴はリア充」

先日聞いた言葉が印象に残っている。

「学校でプリッツを食べた奴はリア充

なんとなく光景が浮かぶ。
いや、自分が学生の頃は、プリッツは完全に「ちびっ子のお菓子」であり、高校生あたりが休み時間に雑談しながら食べる文化は存在しなかった。あれは自分が大人になってから普及した「学校生活っぽい描写」のひとつだと思う。

とはいえ親戚の子や歳の離れた友人からは、やはり学校でプリッツやポッキーを食べているグループの存在を聞く。そういえばポッキーに関しては大学生の頃は食べていたかもしれない*1。味やかたちにバリエーションが増え、大人でもプリッツやポッキーを食べるようになる前のことを今のおじさんおばさんは覚えている筈だ。

経験は無くとも想像はできる。
プリッツはコミュニケーションツールの要素が大きいお菓子だと思う。ひとりで黙々と食べてももちろん悪くないけれど、友人知人とシェアするほうが“らしい”のではないか。
そういうお菓子をわいわい騒ぎながら食べる人達は、リア充の烙印を押されても文句は言えない。

自分はどう考えてもそちらの人間ではなかった。
でも唐突にお菓子を貰うことはあった。クラスでいちばん派手で元気な女子集団が唐突に「ねえねえ、食べる?」みたいな感じでお菓子をくれた。で、自分は「食べる」と1個受け取り、もぐもぐ食べて会話には加わらない。それでお互いにオーケーという今思うと妙な関係が成立していた(相手のことは知らないが仲が悪かったことも無いいし、お菓子は継続して貰えた)。

今だったら感想を伝えていただろう。分析評価みたいな事だって言える。しかし当時は「ありがとう」程度しか返事もしなかった。ただ席が近いから気を遣って分け与えたのだとしても、いかにもボンクラである。

 

 

トカゲ主夫。 -星喰いドラゴンと地球ごはん- (アース・スターノベル)

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今日はそのプリッツを職場でいただいた。
小袋入りのものを貰ったのだ、年若い同僚に。

久しぶりに食べるとなかなか美味しい。
僕は飲めないけれど、ビールのつまみになりそうな味の濃さ。前に上野・御徒町の商店街でアジア系の観光客が箱買いしていたが、まとめて買えば配布用お土産として成立する良いお菓子だと思う。箱はコンパクト、安価で、しかも形も凝っている。

 

 

さて寝ます。
ああ疲れた。ここしばらく心が落ち着かない休日が続いた。今回は連休、そして仕事上の懸案諸事は全て「なるようになれ」と放り出すしか無いから、安心して放置できる。
困るのは火曜日から。土日と月曜はのんびりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:いちごポッキーがある時期から急に美味しくなった事も覚えている。

博多風の天ぷら

最近あちこちで見かける「博多風天ぷら」のお店に行ってみた。
といっても出張先で立ち寄ったAEONにあったチェーン店。博多で入った定食屋みたいなところとはまるで違う雰囲気。

要は「揚げたて・安価・漬物や明太子や佃煮の類が無料」という形式の天ぷら屋なのだと思う。

大抵の山菜が「揚げればなんとかなる」のと同じなのかそれとも関係無いのかはわからないが、天ぷら屋というのは安くても高くてもまず外れが無い。お惣菜の天ぷらは大外れの事があるけれど、普通に揚げたてを出す店ならば一定水準の美味しさが確保されていると思う。

今日のお店も美味しかった。
博多の辛子明太子がおかわり自由だった。
とはいえ、自分としては天ぷらだけで完全に美味しくご飯を食べることができるから、辛子明太子は持てあましてしまう。
ご飯と辛子明太子と汁物だけのメニューがあったら嬉しいのだけれど、残念ながら存在しない。
ちなみに小鉢の2品は偶然にも自分が苦手なものばかりで、勿体ないから食べたものの(野菜を摂る=正義、という家に育ったのです)、ちょっと困ってしまった外食ではあった。
辛子明太子は少しだけ食べたが、基本的に天ぷらとご飯とお味噌汁でお腹いっぱい、そして今も満腹感が続いている。

 

以前、独り暮らしをしていた時に、上司に高級な天ぷら店に連れていってもらったことがある。実家から離れて暮らす自分への配慮もあったのだろうし、美味しいものを食べさせる年少の人間として気に入られていたのだとも勝手に思っている。半年に1回くらいの頻度で、大抵は土曜日、上司と上司の奥さんと自分の3名で、ほとんど酒も無い食事会。
白木のカウンター(いつもカンナをかけたばかりのようにまっさらだった)も、銅鍋に張った澄んだ油も、それからもちろん天ぷらも、自分だけではまず遭遇しない世界だった。なかなか癖の強い上司だったが、話していて面白い人だったし、少なくとも天ぷらに関しては本当に感謝している。
「料理は酒を美味くする。逆に、酒が無いと美味しくない料理は、実は少ない。少なくとも天ぷらは美味いじゃないか。だから酒が苦手でも大丈夫だ!」と、よく言っていた。それも半分は酒に弱い自分への配慮だったのだろうが、でも世のオッサン世界に蔓延する「飲めないと損」という常識をあえて疑う言葉として、あの人らしいなと今も時々思い出す。
これからも外食で天ぷらを食べるたびに思い出すだろう。変な思い出が料理に繋がってしまった。