東に歩いてBLT、そして桃のショートケーキ。

車で静岡市の中心街へ行く。

駅の西側にある安い駐車場に車を入れたところで、トランクに自転車を入れていないことに気付いた。
整備および仕事の都合で先週末より倉庫に移していたのだった。

だから歩く。
東に歩きながら、買い物や展覧会や、ただのウインドウショッピングを進めていく。

最東端の目的地である「ALLEE RESTAURANT」は、自転車ならともかく徒歩ではいささか遠い。距離よりも今日はその暑さが堪えた。

先月に購入した帽子がとても役立つ。
最近は駐車場の係員や警備員(初老の男性)が日傘を差して仕事をしているが、確かに日差しを遮るというのは快適だ。
自分は今まで帽子をほとんど活用していなかった。今日は帽子が無ければ、街歩きを断念していたかもしれない。

お昼はALLEE RESTAURANTのランチのひとつ、サンドイッチのプレートを注文した。サンドイッチは定番のBLT。
ベーコンが厚いのが嬉しい。トマトはしっかりしているしレタスの量もちょうど良い。
付け合わせのポテトや小さな料理もこのプレートを注文した時の楽しみになっている。

今日は少し混んでいた。先日、ローカルテレビに登場していたからかもしれない。

 

帰り道はデパートなどを通りつつできるだけ涼しいルートを選ぶ。
普段は歩きながらペットボトルの飲み物は飲まないのだけれど、今日はどんどん飲んでいく。不穏とまではいかないものの、何かしら警戒すべき高気温と湿度であると皆が認識している雰囲気が感じられた。もちろん自分もそう考えての徒歩行動をしていた。

おやつは駅からほど近いMARIATHANKで。
この季節ならではの「桃のショートケーキ」とアイスティー。

甘くてとろりとした桃と、この店ならではの生クリーム(濃厚というか、ちょっとリッチな感じがする)がとても合う。
注文直前までタルトにしようかショートケーキにしょうか悩んだ。半分ずつ、という注文も可能な店だが、今日はフルサイズで楽しみたかったのだ。まさか1個ずつ注文するわけにもいかない。宝くじが当たったらそういう蛮行をするかもしれないが、普段は小市民としてケーキは1日に1個までと決めている。
以前、お饅頭を両手に1個ずつ持って交互に食べていたら阿呆にしか見えなかった。それにたぶん、2個食べても喜びは1.7個分程度になる気がする。それは嬉しくない。

桃のショートケーキを1個注文し、ゆっくりじっくり味わう。それが正しい幸せというものだろう。いや、桃のタルトも食べたかった気持ちも嘘ではないけれど、それは次のお楽しみとして持ち越すことにする。人はそれを希望と呼ぶのだ。

 

 

(文庫)全国かわいいおみやげ (サンマーク文庫)

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気持ちが伝わるおいしい贈りもの

気持ちが伝わるおいしい贈りもの

 

 

パイナップル・ケーキ(静岡)

静岡市の「Atelier Petit* Calin」にて開催中の台湾スイーツフェアに行ってみた。フェアといっても、大規模なものではない。お店全体が、店主が台湾旅行をした時に買った雑貨と、お店で作った台湾スイーツと、台湾スイーツ的なアレンジをしたケーキやデザートで占められている。

 

地元パン手帖

地元パン手帖

 

 

僕がお店に到着した時は、ケーキの類は売り切れだった。
アイスチャイ(台湾は関係無い。暑かったので)と、テイクアウトもできるパイナップル・ケーキを注文した。

パイナップル・ケーキ、台湾の定番土産で、老舗の名品から安直な(東京駅で売っていそうな)近代化バージョンまで各種あるが、こうしてケーキ店で真面目に作られたものはまた違った美味しさがある。
というか、鳳梨酥(おんらいそー)以外の何物でもない、でも日本のカフェで楽しむ味になっていて、なかなか得難い経験ができた。

チャイのストローひとつにもこういう浮かれた台湾風味があるあたり、素晴らしい。この飾りは持ち帰って、いま手元にあるけれど、しかし何に活用すれば良いのか?とりあえずUSBケーブルに着けてみよう。

 

お菓子の包み紙

お菓子の包み紙

 

 

 

帰宅時に色々と考えた。
今回のパイナップル・ケーキのように、メジャーな市販品のお菓子をあえてケーキ店が手作りしたら面白いのではないか。
例えば平家パイや汁粉サンドはどうだろう?日持ちや万人受けを考えず作れば、どんな品ができるだろう?
うなぎパイは、風味に寄与していない(であろう)うなぎエキスは省き、隠し味的なガーリックで“らしさ”を演出できそう。

 

 

 

自分はお菓子職人ではないからこれは妄想に過ぎない。
お土産のお菓子はその制限(コスト、日持ち、万人受け、見た目)の下でこそ生まれた味わいがあることはわかっている。でも誰か、作ってくれないものか。
絵本のお菓子を再現すると多くの人が喜ぶ。ならば、ケーキ店がその店の水準でメジャーな土産品を作ったら、楽しむ人はいると思うのだが。ルマンドやオレオでも歓迎します。

 

 

お題「思い出の味」

「学校でプリッツを食べた奴はリア充」

先日聞いた言葉が印象に残っている。

「学校でプリッツを食べた奴はリア充

なんとなく光景が浮かぶ。
いや、自分が学生の頃は、プリッツは完全に「ちびっ子のお菓子」であり、高校生あたりが休み時間に雑談しながら食べる文化は存在しなかった。あれは自分が大人になってから普及した「学校生活っぽい描写」のひとつだと思う。

とはいえ親戚の子や歳の離れた友人からは、やはり学校でプリッツやポッキーを食べているグループの存在を聞く。そういえばポッキーに関しては大学生の頃は食べていたかもしれない*1。味やかたちにバリエーションが増え、大人でもプリッツやポッキーを食べるようになる前のことを今のおじさんおばさんは覚えている筈だ。

経験は無くとも想像はできる。
プリッツはコミュニケーションツールの要素が大きいお菓子だと思う。ひとりで黙々と食べてももちろん悪くないけれど、友人知人とシェアするほうが“らしい”のではないか。
そういうお菓子をわいわい騒ぎながら食べる人達は、リア充の烙印を押されても文句は言えない。

自分はどう考えてもそちらの人間ではなかった。
でも唐突にお菓子を貰うことはあった。クラスでいちばん派手で元気な女子集団が唐突に「ねえねえ、食べる?」みたいな感じでお菓子をくれた。で、自分は「食べる」と1個受け取り、もぐもぐ食べて会話には加わらない。それでお互いにオーケーという今思うと妙な関係が成立していた(相手のことは知らないが仲が悪かったことも無いいし、お菓子は継続して貰えた)。

今だったら感想を伝えていただろう。分析評価みたいな事だって言える。しかし当時は「ありがとう」程度しか返事もしなかった。ただ席が近いから気を遣って分け与えたのだとしても、いかにもボンクラである。

 

 

トカゲ主夫。 -星喰いドラゴンと地球ごはん- (アース・スターノベル)

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今日はそのプリッツを職場でいただいた。
小袋入りのものを貰ったのだ、年若い同僚に。

久しぶりに食べるとなかなか美味しい。
僕は飲めないけれど、ビールのつまみになりそうな味の濃さ。前に上野・御徒町の商店街でアジア系の観光客が箱買いしていたが、まとめて買えば配布用お土産として成立する良いお菓子だと思う。箱はコンパクト、安価で、しかも形も凝っている。

 

 

さて寝ます。
ああ疲れた。ここしばらく心が落ち着かない休日が続いた。今回は連休、そして仕事上の懸案諸事は全て「なるようになれ」と放り出すしか無いから、安心して放置できる。
困るのは火曜日から。土日と月曜はのんびりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:いちごポッキーがある時期から急に美味しくなった事も覚えている。

博多風の天ぷら

最近あちこちで見かける「博多風天ぷら」のお店に行ってみた。
といっても出張先で立ち寄ったAEONにあったチェーン店。博多で入った定食屋みたいなところとはまるで違う雰囲気。

要は「揚げたて・安価・漬物や明太子や佃煮の類が無料」という形式の天ぷら屋なのだと思う。

大抵の山菜が「揚げればなんとかなる」のと同じなのかそれとも関係無いのかはわからないが、天ぷら屋というのは安くても高くてもまず外れが無い。お惣菜の天ぷらは大外れの事があるけれど、普通に揚げたてを出す店ならば一定水準の美味しさが確保されていると思う。

今日のお店も美味しかった。
博多の辛子明太子がおかわり自由だった。
とはいえ、自分としては天ぷらだけで完全に美味しくご飯を食べることができるから、辛子明太子は持てあましてしまう。
ご飯と辛子明太子と汁物だけのメニューがあったら嬉しいのだけれど、残念ながら存在しない。
ちなみに小鉢の2品は偶然にも自分が苦手なものばかりで、勿体ないから食べたものの(野菜を摂る=正義、という家に育ったのです)、ちょっと困ってしまった外食ではあった。
辛子明太子は少しだけ食べたが、基本的に天ぷらとご飯とお味噌汁でお腹いっぱい、そして今も満腹感が続いている。

 

以前、独り暮らしをしていた時に、上司に高級な天ぷら店に連れていってもらったことがある。実家から離れて暮らす自分への配慮もあったのだろうし、美味しいものを食べさせる年少の人間として気に入られていたのだとも勝手に思っている。半年に1回くらいの頻度で、大抵は土曜日、上司と上司の奥さんと自分の3名で、ほとんど酒も無い食事会。
白木のカウンター(いつもカンナをかけたばかりのようにまっさらだった)も、銅鍋に張った澄んだ油も、それからもちろん天ぷらも、自分だけではまず遭遇しない世界だった。なかなか癖の強い上司だったが、話していて面白い人だったし、少なくとも天ぷらに関しては本当に感謝している。
「料理は酒を美味くする。逆に、酒が無いと美味しくない料理は、実は少ない。少なくとも天ぷらは美味いじゃないか。だから酒が苦手でも大丈夫だ!」と、よく言っていた。それも半分は酒に弱い自分への配慮だったのだろうが、でも世のオッサン世界に蔓延する「飲めないと損」という常識をあえて疑う言葉として、あの人らしいなと今も時々思い出す。
これからも外食で天ぷらを食べるたびに思い出すだろう。変な思い出が料理に繋がってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

お金さえあればできる旅

同僚が旅先で倒れ(胃腸風邪)、代理で会議に出ることになった。
出発時にざっと計算すると、時間の余裕は20分。とにかく急いで大阪に向かう。

職場が家から近いことが幸いした。
家に電話をかけて、出張用の革かばんとネクタイやスーツを用意してもらう。同僚に引き継ぎもせず(後でメールやLINEで済ませた)車で家に行く。

会議資料の類は元々僕が用意していて、しかも昨晩に同僚が「間違って捨てちゃった」と連絡してきて「じゃあデータ送りますからそちらで印刷してください」とクラウドストレージに放り込んであったので、準備はほとんどしないで出発できた。たぶん職場の据え置き型パソコンも電源を入れたままだろう。
職場から持ち出したのは小さなノートパソコンだけ。

家ではかばんと着替えを受けとり、靴を換えてすぐに出発。着替える暇も無く新幹線に飛び乗る*1。ここまで慌ただしい出張は人生初だ。

 

それでも今、それほど不自由していない。
移動中に宿の予約はできた。
会議だって間に合った。
明日のための服や下着は、駅の近くで買い揃えた。UNIQLOも無印も近所にあるから都会は便利。
夕食はいわゆる「会食」だったが、お酒の席ではなくてお好み焼き主体の食事会だった。出費は無く、そして名物を食べることができ、酒を飲まずに20時には解散。素晴らしい。
せっかくだから明日は名古屋で別の用事を済ませることにして、その段取りも組んだ。

 

全国ビジネスホテルガイド (ブルーガイドニッポンα)

全国ビジネスホテルガイド (ブルーガイドニッポンα)

 

 

手持ちの現金は3000円と少し。
しかしクレジットカードはある。
仕事用のパソコンは職場のNASと繋がっていて、ありがたいことに今職場の人達が全力でデータ作成などを支援してくれたから、業務に支障は無い。仕事としてエネルギーを使ったのは「移動」と「会議」だけだった。

宿に落ち着いてから、仕事用パソコンを「私用アカウント」に切り替えればGoogleからこのブログまで家と同じ環境でアクセスできる。こうしてブログも書けてしまう。Amazonで買い物もした。

 

旅行の準備をしている時に、特に宿泊先が静岡よりも都会の時には「まあお金さえあれば何とかなるだろう」と考える。それでも荷物は増えてしまうけれど、それは余計な出費を減らしたいから。大金持ちになったら、それこそ財布だけで旅ができるかもしれない。

そこまで極端ではないが、今回は本当に荷物が少ない。
伊豆に日帰り旅行をする時でももう少し準備をする。
書類しか入らない革かばんでも何とかなってしまうものだ。
たまに寝付きが悪い時があって、そういう時のための睡眠導入剤(大昔、心療内科で処方してもらった)を旅行や出張ではお守り代わりに持っていくが、今回はそれが無い。どうしても眠れない時は階下のコンビニでシードル(アルコール4%)をリンゴジュースで2倍に希釈しアルコール2%飲料を飲めば、それで完全に酩酊し眠ってしまうので、それほど心配はしていない。

 

しかし「ペンを忘れた」「接続ケーブルが必要だ」「迷って遅刻したら困るから念のためタクシー」と、様々な問題に対し“金銭で解決”ばかりしていると、「知恵が無いなあ」と我ながら嫌になる。

それが会社の出費であることはこの問題と関係ない。
自分は出張であれ何であれ、家の外で泊まるという非日常では、もう少し工夫を楽しみたいのだ。あと少し時間の余裕があったらこんな無駄遣いはしなかったのに、と考えてしまう。
クレジットカードで突き進む旅は、楽ではあるが面白みにかける。
せめて、もう少し大きな金額で、それこそ札束をばらまきながら旅をすれば、また違った楽しみが生まれるのだろうが。

 

お題「今日の出来事」

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

*1:正確には東海道線で静岡駅に行き、きちんとホームから歩いて乗り込みました。着替えは会議場近くのビルで、トイレで済ませようかとうろうろしていたら、有料のパウダールームがあったので利用。300円で着替えも身嗜みもできてなかなか便利。

時計の電池が少ない感じ

今このブログを書いている席(椅子に座って、iMacに向かっています)の後ろ側、天井に近いところに壁掛け時計がある。

いつも秒針が動いても音は鳴らない。だから買ったのだ。
でも昨晩からかちかちと小さな音がする。

そして今確認したら、ずいぶん時間が遅れている。
ちょうど2時間程度の遅延となっている。

時計が遅れはじめたら電池を替えよ、と高校時代の教科書に書いてあった。それをどう英語で書いたら良いのかは忘れたが、その和訳はしっかり心に残っている。
いや、英語の教科書ではなくて副読本だったか。
とにかく「良くない変化に気付いたら、ごく普通の対応をまず実施せよ」という教訓へ繋がる話だったと思う。細部は忘れたけれど、確かそんなストーリーだった。

ちょうどエコロジーが社会的流行となっていた時代だった。
だからこのアメリカ的な「とりあえず電池を替えてしまえば解決!」について、教師は乱暴だと批判していた。いわゆる授業中の余談だ。

 

細かいことばかり覚えている。
自分がその時に何組にいたのか、同級生は誰か、なんて事は忘れた。
よく亡くなった人のことを「かたちを変えて我々の中で生き続ける」と言うが、こうして思い出せない諸々もまた“かたちを変えて我々の中で生き続け”ていて欲しいものだ。そんなに世界は効率が良くない、ただ消え去るものばかり、という身も蓋も無い諦念も嫌いではないのだけれど。

 

ともあれ電池くらいは替えなくては。
かちこち鳴っていると、寝る時に気になる。それに、いつか替えなくてならないのだ。だったら寝る前に交換する。

 

カシオ アナログ掛時計 IQ-58-7JF

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お題「愛用しているもの」

聞くは一時の恥だけれども。

たぶん偶然の一致だが、昨日と今日に気になった出来事があったので、今日はそれを書いてみようと思う。

 


特に関係の無い友人3名それぞれが、「ほとんど調べない人からの店舗情報の問い合わせ」に苦慮しているという話が(インターネット回線越しに)耳に入った。
3名とも個人経営のお店やアトリエを持っている。
本当に小規模のお店で、だからこそ忙しい時は電話応対だって難しい。
そういうお店だとわかっていて問い合わせの電話をしてくる人は何なのだろう、という不満だ。あるいは、店に興味があるのに個人店である事への配慮がまるで無い人は本当に店を気に入ってくれたのか、そんな疑問だ。
実際に仕事に差し支えているからこその不平不満が聞こえてきた。

 

僕は(友人という思い入れを差し引いても)これは「問い合わせる側」の怠慢だと思っている。
小規模で不定期営業の店なんて、今はいくらでもある。
そういう店がInstagramFacebookやブログで営業日や時間を告知することも当たり前だ。SNSが無かったら成立しない業務形態だとさえ思う。

そういう店にどうして電話なんてするのだ。
誰も問い合わせなんてしていないコメント欄に質問を書くのだ。
スマホもパソコンも使えない老人ではないのに、自分で調べようとしないのだ。

 

全てのお店が、あらゆる人をお客さんとして扱いたいわけではない。
古都の名店が人を選ぶように、個人のこぢんまりとした手作りのお店もまた、彼ら彼女らのスタイルを持っている。SNSでの情報発信もそのスタイルに含まれている。新聞の折り込みチラシを作らない事がその店のスタイルであるように、低コストで“わかる人には届く”発信手段であるSNSを活用することもまた店と店主の意思表示なのだ。

つまり僕の友人達は、調べればわかることは自分で調べる、そういうお客さんを求めているのだ。
実際、チェーン店のそれのように、問い合わせ全てに「ありがとうございます」と答えていたら成立しないし、それはやりたくない。

「よくわからないけれど雑誌を見て興味を持ちました。調べるのは苦手なので電話で聞きます」から一歩進むくらいの手間はかけて欲しい。だって興味を持ったのだから。電話応対が難しいくらいの規模や仕事をしていることもまたお店の特徴なのだから。

 

これはある種、傲慢なスタイルではある。
しかしそれでもみんな、それなりに長くお店を続けられている。傲慢だろうが何だろうが生活できる程度に受け入れられているのならば、客の側がそのスタイルを「それは間違っている」と文句を言っても説得力に欠けてしまう。

僕は仮に、自分を「お断り」する店があっても気にしない。後で興味を持って調べはするだろうが、そんなものかな、と思うだけだ。店というのは客の希望を受けるだけで成立するわけではない。

 

 

これもまたSNS、たぶんTwitterで読んだのだけれど、どうも世の中には2種類の人間がいて、それは「他人に聞くよりも自分で調べるほうが楽な人間」と「自分で調べるよりも他人に聞くほうが楽な人間」なのだそうだ。

なんとなくわかる気がする。職場にも「なんだこいつ!」と思えるくらいに、調べればわかることを聞いてくる人がいる*1
どちらが良い、という話ではない。その時々によって正解は異なる。

ただし今の時代は、調べる事そのものがずいぶん楽になっている。
5年前に比べて携帯端末もインターネットも進歩して素人向けになった。過渡期としてのスピード感が、実際以上に「調べればいいじゃん」と思わせているし(時代の空気かもしれない)、そして上述の如く「詳細はWebで!」を基本にしている仕事やお店も増えている。

もうしばらく待てば、「聞く方が早くて楽」な人達もまたこれらネット上の情報に簡単にアクセスできるだろう。AIと音声認識の進歩が会話による情報収集と提示を容易にしつつある。

 

とはいえ、この「他人に直接聞く」ことそのものに価値を見出す人もまた多い。
たぶん人間の想像力に限界があるからだろう。
WebサイトやInstagramの情報だって人間が入力している、という想像ができないのだ。想像力の多くは知識量の問題だから、そう簡単にはこの価値観は変わらない。
お店の開店時間や駐車場の場所を知りたい、という当初の目的に「お店の人達との交流」といった自身の欲を混ぜたい、その気持ちは僕もわかる。自分だって丁寧な接客や温かな心遣いは嬉しい。
でも、それは店によっては迷惑なのだ。

 

僕達は、興味を持った店がどんなスタイルなのかをあらかじめ知っておいたほうがいい。
客としても、そのほうが幸せになれる。
少なくとも「自分にはこのほうが楽だから」で済ませているうちは、ほとんどのサービス、もっと言うと人間とのやりとりでは、何かを磨り減らす。疲弊がお店側なら気付かないし、鈍感な人は自分に損をしていてもわからない。それは不幸だろう、確実に。

 

マイコミ新書 お客様は神様か?~売れない時代の新しい接客・サービス~

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*1:仕事ならばなおさら、自分で調べることはスキルとして鍛えたほうが後々のためになる。だから僕は新人にはネット検索のコツや教則本の使い方をしっかり教える。新人では無い場合に困る。