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選挙の効能

こどものとうひょう おとなのせんきょ

昼休みに「昨日の選挙」について話していたら、「あ、自分は行っていない」と話を遮られてしまった。いつも意識の高い言説が好みで、自宅の靴箱の上には自己啓発本スヌーピーの言葉の本を飾っている、ついでに言うとディズニーランドによって世界平和が完成すると考えている人なのに、選挙には行かないのだ。
別にそれは個人の選択だから、良いも悪いも無い。面倒だから、興味が無いから、そういう理由で選挙をパスする人は多い。
政治に対する愚痴を言う時にいくぶん説得力に違いが生じるのではないか、と僕は考えているし、それが選挙会場へ行くモチベーションの1つなのだが、まあ、個々人の自由意志である。

でもこの人の場合は、「行かない理由」が楽しい。
「日本が駄目になっても、私は生きていけるから」とのこと。思わず全員で拍手した。なかなか言えることではない。
政治が原因で"日本が駄目"になった時は、どう考えてもハードランディングだろう。静岡県中部の田舎町で働く人間が、それを平然とやり過ごせるとも思えない。この人は英語が出来ることをそのサバイバルの根拠にしているが、しかし英検3級は日本が壊滅した状況で役に立つのだろうか。

とはいえ、思慮が浅く乱暴な物言いをすることが若者らしさだった時代を引きずっている30代としては、珍しくも無い発言なのかもしれない。ある種の人々が、自分の全盛期のお化粧を年老いても続けるような感じ。
僕は楽しくなって話を引き出していたが、隣で聞いていた年配の管理職氏は、後で「腹が立って仕方がなかった」と言っていた。僕にそんなことを(洗面所で)言われても、困ってしまう。

 

 

選挙は、自分の意見を通すための手段としては、最善とはいえないかもしれないが、リーズナブルな選択だと思う。当日に料金を取られることもないし、時間だって数分で終わる。たぶん宝くじよりも、リターンは多いのではないか。
情報も、今はいくらでも手に入るし、そもそも普段からニュース番組を眺めていれば、立ち往生するようなことはまず無い。僕としては、たまには政治についてこうして"我が事"として考える機会がある事そのものが、選挙の効能のひとつだと考える。興味が無いことは、どうでもいいこととは違うのだから。

そして、上に書いたように、いつか政治に、政府に、文句を言いたくなった時に、それがただの愚痴であったとしても、説得力にほんの少し"迫真の度合い"が追加されるような気がしている。これは大切なことで、誰かを支持したとしても、そのライバルを選んだとしても、とにかく「参加したんだ」という実感、公民館での10分と少しの手続きの記憶が、将来の愚痴に力を与えるのだと考えている。

しかしなあ、と思う。

「パレードへようこそ」を、「めっちゃ感動した。ピュアな人達って素晴らしい!」と言っていた人が、自身は政治参加に興味が無いと言い放つのは、なんとも寂しい。あんなに良い映画を、単に美談を消費するだけで終わらせてしまうのは惜しい。まあ、これも愚痴(特に裏付けは無い)なんだけれど。

 

 

こどものとうひょう おとなのせんきょ