
近所の高齢者が何人も我が家に来て、小さなお餅を置いていった。
なぜお餅を?と疑問だったが、彼ら彼女らの話を聞いて事情が判明した。
今日は我が家から徒歩10分くらいのところで秋のお祭りが行われている。そこでは、お祝いのお餅を配っている。
父の友人知人である老人たちは朝の散歩の際に縁起物として受け取った。
しかし、その餅は寸法も柔らかさも「老人にとって危険度がとても高い」ように見えて、持て余してしまう。
お祭りからの帰路にある我が家へ立ち寄り、僕に譲ることにした。
ということのようだ。
我が家は、家庭菜園から旅行の土産まで余ったものを受け入れる家として認定されていて、僕は「食べ物を喜んで受け取る若者」と見做されている。年齢も外見も立派な独身中年なのだが、彼らには若者扱いされがちである。
とにかく、そんなわけで午前中だけでずいぶんな数のお餅が集まった。
小分けされたお餅は紅白の2色。大福よりも少し小さく、やわらかい。餅米だけで作られているから、日持ちはしないだろう。
一部は冷凍保存して、残りはお昼に食べることにした。
磯辺焼きか胡麻餅にするのが簡単だけれど、お昼なのでもう少し栄養も考えたい。
というわけで味噌仕立てのお雑煮に仕立てた。
胡麻を使った味噌味で具沢山のお雑煮は、若い頃に好きだったカフェの定番メニューだった。当時、ナチュラルな雰囲気のカフェでは、素朴なお雑煮を食べることができたのだった。ざっくりとした風合いの歪んだ椀と、麻と綿をつぎはぎしたランチョンマットと、純和風からは外れた料理。ああいうカフェは、もうほとんど残っていない。
別に懐かしむわけではないが、そういったオーガニック・カフェ風のお雑煮は時々作る。
雑に作ってもジャンク・フード感は少ないので、適当に作る昼食には便利なのだ。
お雑煮はおいしく出来た。
すり胡麻を「これで十分だろう」と思ったところから、さらに追加すると、お店で食べるような味になる。味噌や胡麻油があれば、ひとりで食べる分には全く文句の無い味になるのだ。
ところで、「餅って実際にどれだけ危険なのだろう」と、あえて小さく切った餅を噛まずに飲み込んでみたら、大変なことになった。
餅は危険だ。
本当に苦しかった。お祝いの餅で天国への階段を昇りそうになってしまった。餅を譲ってくれた老人たちにも悪いし、(おそらく)第一発見者となる父だって悲しむだろう。
ひとりの時に、命に関わる実験をしてはいけない。
ごく当たり前の、しかし実感を伴う教訓を得た。もう餅で実験はしない。
そんな土曜日だった。
今日はひたすら家でパソコンに向かっていた。
夜に少しだけ散歩をした以外は、身体を全く動かしていない。たぶん窒息しかけた時が、最も筋肉を使ったはずだ。あの瞬間は命が燃えていた。






