先程まで、静岡の街にいた。
今日の目的地は駅南の鉱泉会館地下1階大ホール。
そう、今夜は静岡シャンメリー会の総会だった。
ここ数年は新型コロナの流行により、オンラインの開催だったシャンメリー会。
モニター越しでも1年に数回しか会うことのないメンバーが、今夜はオフラインで顔を合わせる。
今回は感染対策として、衝立や換気の準備、そして食器の区別など、準備にはおそろしく手間がかかっている。
事前にリストを共有し、7〜10種類のシャンメリーを各自用意してオンライン会議をしていた昨年や一昨年のほうが、正直言って楽だった。
それでも、やはり会って語り合う場というのは良いものだ。
鉱泉会館というシャンメリーに縁の深い会場を借りられたことも良かった。まるで数十年ぶりの同窓会みたいな不思議な総会になった。
でも、メインイベントの試飲会はちょっと変な雰囲気になった。
例年通り、小さなグラスで飲みながらプレゼンテーションをして採点、そして「今年の1杯」を決めるわけだが、プレゼン後の質疑応答が荒れたのだった。
問題は"キャラクターもの"の再現度。
何十年も前から漫画・アニメのキャラクターを使ったシャンメリーは当たり前に存在したが、今年はそのレベルが高かったのだ。
もう少し詳しくいうと、作品の世界をきちんとシャンメリーが再現していたのだ。
つまり「鬼滅の刃」のシャンメリーは、原作漫画の妖しさを"赤"の後味に感じることができていて、「バズ・ライトイヤー」は"ロゼ"も"白"も、その朗らかな飲み口がまさに作品世界とリンクしている。ただのご当地物だと思われた「ちびまる子ちゃん」は、子供っぽさが溢れていながら大人にも楽しめて唸らせる。
誰もが驚いたのは「血界戦線」のもの。プレゼン者が言うように「まるで良く出来たファンアートのよう」だった。これは飲んでみないと上手く説明できない。自分は赤に打ちのめされた。白もロゼも素晴らしいが、赤はもう、シャンメリー味の血界戦線としか言いようがない。
しかし、これらの再現度がそのまま高評価に繋がらないのがシャンメリーの難しいところ。
なにしろ、シャンメリーとは元来、紛い物なのだ。
さらに言うと、原作モノがラベルだけの存在であることもまた伝統のひとつ。
炭酸と香料入りの砂糖水にロゼだの赤だの名付けるのは、ほとんど物語(フィクション)をグラスに注いでいるようなものだ。
そして、それらを理解っていながら愛でることこそ、シャンメリー趣味の基本にして王道。
毎年、試飲会なんてものを開いて新製品に星をつけながらも、根っこの部分は保守的。それがシャンメリー趣味者の正体。そんなことは誰も言葉にしないが、紛れもない"不都合な真実"である。
先程から議事録*1を清書していて感じるのは、誰もが、どこか寂しく思っているのだということ。
昨今はノンアルコールのワインも普及しているし、子供だってクリスマスのシャンメリーにはこだわらない。
そういう環境の変化のなかで、変わらないはずのシャンメリーさえも変化していく。まるで好きだった古い観光地が小綺麗になってしまったような気分になるのも仕方がない。
そういった状況を考えると「フィクション*2を模すフィクション*3」として新しい"飲み方"を見出す人達と、昔ながらのクリスマス飲料として素朴に楽しみたい人達との間に摩擦が生じるのは、必然だったのかもしれない。
キリスト教徒でもない我々が偽物の聖夜を楽しむためにワインの紛い物を飲み干す…そんな身も蓋もない現実に真っすぐ向き合える人間は、シャンメリー会には一人もいないのだから。それでも変わっていく世界(そしてシャンメリー)を語るとき、ナイーブなで不器用な僕達は、言葉に棘が混じってしまう。
傍から見ていたら喧嘩に見えるような激しい言葉のやりとりは、自分が知る限り今回の試飲会が初めてだった。
ともあれ、それでも大人の趣味の集まりである。
一部ヒートアップしつつも、最終的な「今年の1本」は、定番の「コダマ シャンメリー金袋 赤」に落ち着いた。議事進行を担ったベテランたちの手腕と、あくまで楽しむための場ということを尊重した参加者達の想いが、最定番に点数を集めたのだと理解している。
ただし、その無難な結末ですら、来年以降に変化の種になるだろう。その予感は誰しも感じていたはずだ。
締めの挨拶で支部長は言った。
「その場に留まるためには、全力で走り続ける必要がある*4」
いわゆる赤の女王仮説だが、内輪の小さな趣味の集まりですら、変化を求められているのだ。疫病や世界情勢といった大きな要素だけではない、把握できないくらいに複雑すぎる世界の渦に人間は翻弄され続ける。シャンメリーですら例外ではない。
だからこそ楽しい。
そして、だからこそ、僕達はシャンメリーを楽しむのだろう。まるで人生のように。
乾杯!