おとむらいのはじまり

家族の納棺で葬儀会場へ行く。
基本的に無宗教ではあるが、"安置室"は仏教的な設えがしてある。
数日後の通夜・葬儀でもお坊さんが来てお経を上げてくれることになっている。これは宗教的要素をゼロにすると儀式として間が持たないから。身も蓋もない理由で選んだ"オプション"だ。
葬式の経験が少ない孫達(僕にとっての甥や姪)に、一応の"伝統"を体験させたいという狙いもある。

つまるところ、葬式仏教に変わる儀式の形を確立できていないまま葬儀に挑むことになったので、完全な無宗教にはできなかったわけだ。

とはいえ、納棺より前にお坊さんはお経をあげてくれていたようで、納棺は自分達が葬儀会社スタッフの手伝いのもと行った。時間にして10分程度。

数日後の通夜や葬儀についての準備、そして近所や親戚への周知が今日のミッション。

我が家はそれほど地元と縁のある家ではない。それでも回覧板で通知を見た人の訪問が、夕方から夜にかけて数回あった。
この人達は通知を読まないのか…と驚いたのだが、相手も急な知らせで驚いたのだろう。亡くなった家族を慕ってくれているわけで、どんな形であれありがたい。

葬儀といえば、夕方にはエリザベス二世のそれをテレビで見た。
とても立派な葬儀なのは当たり前だが、世界を代表する王室にしては地味な気もする。アジア諸国、もっというと日本で同じような葬儀をするのなら、全てがぴかぴかで新品で、広くて、所作から立ち位置までがちがちに固めるだろう。高校野球の開会式のほうが、びしっと整列できている。
そういった、失敗したら担当者の首が飛びそうな緊張感は、ウエストミンスター寺院には感じられない。
でも、きちんと権勢を示し、伝統と弔意を丁寧に伝える、立派な宗教儀式であり国家行事だった。参列者の全員が、この歴史的な行事の当事者として振る舞うべく意識している雰囲気があった。

家事や食事の合間に見ただけでも興味深く楽しめた。後日、きちんと解説付きで鑑賞できたらいいのに。「これは何の意味があるのだろう」「この人は、どういった役割なのだろう」といった気になる部分が連続していたので。

ともあれ、イギリスは面白い国だ。
いつか旅行してみたい国のひとつ。いつになるのかはわからないけれど、食べたいものも、行きたい場所も、たくさんある。

 

 

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