カチカチトングさん

先ほど、閉店間際の「焼き立てパンの店」へ行ってきた。
この店では、夜に限定して、サンドイッチ用パンが手に入るのだ。
スーパーマーケットよりは少し高いが、カット済みのライ麦パンや胚芽パンが手頃な価格と量で手に入る。翌日にサンドイッチを作るつもりの時には、とても便利だ。買うときに"耳"を付けてくれるのも気が利いている*1

 

 

 

ところで、店に入る時に、トングを持ったお客さんとすれ違った。
ごく普通の若い女性。仕事帰りだろうか、いかにも疲れた勤め人といった雰囲気だった。トートバッグに通した腕で、お店で使っているであろうトングを挟み持っていた。そのまま店を出て、駅に向かって歩いていったようだ。

マイトング制の店ではない…と思う。
おそらく、支払いやマイバッグへの収納といった慌ただしい状況で、うっかり持ち出してしまったのだろう。疲れていれば、そういうこともあるのかもしれない。

しかし、これは良くない行動だ。



よく言われているように、焼き立てパンの店とは、いわゆる化外の場・隔離された地である。
発酵と炎により得られた特別な糧を、心のままに選ぶハレの場だ。
そこでは人は無力であり、サンドイッチ用パンを買うだけのつもりが塩パンとベーコン・エピもトレイに載せてしまうような、理性では説明できない行動をとってしまう。
トングを鳴らしながら、円周を描く店内*2を歩く行為こそ、まさしく人理を超えた地に我々が踏み入れる非日常。
このスタイルの店舗を西欧では”統御されたヴァルプルギスの夜、あるいは麦神の庭”と呼ぶことは、決して大げさではない。

 

そのような場の道具を外に持ち出した場合、どんなことが起こるか。
各種神話における「神の道具を持ち出した人間」に描かれるそれは、概して不幸な結末となる。人ならざるものの力を得た人は、人ではない存在に"成って"しまうのだ。
そう、千と千尋の神隠しの冒頭で、神のための食事を口にした千尋の両親のように。

さて、焼き立てパン屋のトングを持ち出した女性がどうなるのか。

これは過去に記録がある。
一般に「カチカチさん」あるいは「カチカチトングさん」と呼ばれる怪異に”成る”という。

トングを盗んだ彼らは、夜の裏側の世界に閉じ込められる。
カチカチとトングを鳴らし、ただひたすらに暗い道を歩く。
もう疲れることも、仕事に悩むこともない。目的のパンを探して、今日も明日も歩くだけ。トングを手にしている限り、焼き立てパン屋の非日常は終わらない。終わらせることは誰にもできない。

もちろん彼ら彼女らの前に、焼きたてのパンが並ぶことはない。人間の街とは、そういう場所ではないのだから。
万が一の幸運で1個のパンを見つけたとしても、焼き立てパン屋の理に囚われた存在には満足できない。パンを1つだけ手に入れて済む"場"ではないのだ。

たまには、パンとは違うけれど街路樹や道路標識よりはパンに近いものを掴もうとするだろう。それは犬やカラス、そして人の魂かもしれない。
しかしいずれにせよ、せっかくトングで掴んだそれを持ち帰ることはできない。トレイが無いのだ。
仕方がないから、またカチカチとトングを鳴らして、その人間だった存在は、夜を歩き続ける。
それが「カチカチさん」あるいは「カチカチトングさん」だ。

 

 

それほど遅くない夜に街を歩いていて、誰もいないのにカチカチと音だけがしたら、たぶんそれが彼ら彼女らの成れの果てだ。

ほとんどの場合に害は無い。もはや「そういうもの」として存在するだけだから。
すぐにどこか、暗くて見えない場所に去っていくだろう。

 

 

この話に教訓は無い。
ああいう店で、トングを盗もうとする人はいないだろう。自宅で必要になることは少ないし、必要ならば買えばいい。99%ばれる泥棒をする理由がない。

それでも人は、望んでもいないトングを持ち出してしまう。
奇妙なタイミングで、思いもよらない場所の、想像を超えた穴に落ちてしまう。
そうやって、人は人の外側の存在に"成って"しまうのだ。
避けられないトラブルには、教訓は存在し得ない。
だからこの話は、これでおしまい。

 

 

今夜はきちんと戸締まりをして寝ることにする。トングを鳴らす音は、夜中に聞くとことさら神経に障るので。

 

お題「わたしの癒やし」

*1:僕は冷凍しておいて料理に使うか、フレンチトーストにして食べる。

*2:店内は必ず周回が可能な構造となっている点に注意されたい。

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