家の文化、について

昨日まで大変だったので、今日は意識して何もしない日。
とはいえ、書類を届けに病院へ行ったり、その際に通り雨に遭ったり、買い物をしたりと、それなりに忙しい休日ではあった。

夕食を済ませた頃に、兄と彼の子供たちが遊びに来た。
ここ数日の僕や父を労いに、顔を出してくれたのだ。

手にはファストフード店の"お持ち帰り"の食事を下げている*1
これも、父や僕に料理や洗い物をさせない気配りなのだろう。

帰りに、その食べ終えたあとのゴミを袋にまとめて持ち帰ろうとしていた。家で引き取ると伝えたら「それじゃあ」と渡してくれたのだが、割り箸もプラ容器も全て一つの袋に入っていた。
元来、我が家の"文化"では、このような行為は許されない。ゴミは何であれ分別し、洗い、乾燥してから、しかるべき処分を行う。
だから今日は、兄たちが帰ってから、僕が袋の中身を分別し、洗ったのだった。

別に面倒ではない。お茶など他にも洗い物はあるし、せいぜい5分の台所仕事だ。
ただ一つ、強く感じたのが「もう別の家なのだなあ」という感慨。

いま母が入院していて、父と僕と2人で生活を営んでいる。
一人暮らしのような"自分専用カスタマイズ"な家事ができず、毎日それなりに、実家の"文化"を実感しているのだった。

それは、母と父が今まで作ってきた暮らしのルール。
正直なところ不合理なことも多いし、自分が「主担当」になるにあたり手を入れている部分もあるが、それでもやはり、僕が子供の頃から慣れ親しんできた常識を、今は手を動かしつつ再認識しているのだった。

だから兄のちょっとした違いが、なんとも言えない感慨を呼び起こしたわけだ。入院している母だったら小言を言っていただろうなあ、とも思いながら。
そして、兄は家を出て、僕は家に戻ったのだなあ、と。
良くも悪くもなく、本当に純粋な感慨として。

まあ、違っていて当然ではある。兄が結婚して家を出てからずいぶん経つ。それでも「えっ」と思ってしまったのは、母が入院して「家」を意識しがちな今だからかもしれない。
でも、兄は子供の頃から"ひとつの袋にゴミをまとめて気にしない人間"だったような気もしてきた。家の文化とはいうが、完全に守られていたわけではないのだった。

 

 

そういえば昨日も今日も、甘いものを食べていない。
心身ともに疲れた数日間だったが、ストレス解消に素敵なおやつを食べるのはもったいない気がするのだ。でも1日でずいぶん回復したから、たぶん明日には贅沢をしたいところ。

 

 

*1:牛丼だった。

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