ご近所のロシア人

仕事は順調。もちろん疲労困憊ではある。
でも今日は金曜日。明日は土曜日でお休み。身体はなんとか保っている。

ところで、実家の周囲にはロシア人やウクライナ人の家族が、何組か住んでいる。今まで意識したことはなかったけれど、そういえば白人カップルや家族連れをスーパーマーケットで見かけることがあった。
外資系の工場があるので、労働者として日本に移住したのではないか、と父は言っていた。当然ながら、僕たちには、「北の方から来たっぽい西洋人」くらいしか見分けがつかない。

今日はそういった人達の中から、ロシア人の2人と、彼らの車を”発見”した。
見分けるのは簡単だった。
車の後部ガラスに「わたしたちは近所のロシア人です」と書かれた紙が貼ってあったのだ。
ウクライナ国旗と同色(水色と黄緑)のゴムボール、そしてロシア国旗も並んでぶら下がっていた。
それ以上の情報は見いだせなかった。
おそらくは「今回の戦争は、私達家族の願うところではない」という意思表示、そしてウクライナとの連帯を示していたのだと推測する。
彼らが嫌な目に遭わないよう祈る。

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ところでこの車の表示を見て、最初に思い出したのが数年前の出来事。
ちょうど新型コロナウイルスが全国に広がりはじめて、トイレットペーパーとマスク用のゴム紐が品切れになっていた時期のことだ。
あの頃、県外ナンバーの車に対する、嫌がらせが多発していた。

僕も静岡ナンバーの車で四国に住んでいたから、2回は直接の嫌がらせを受けた。「あんた、なんで静岡から来たんや」と凄まれたし、遠くから怒鳴る人もいた。
静岡の人間が、あの時期にローカル・スーパーマーケット(サンシ)にいるわけが無いじゃないか、地元民ばかりの讃岐うどん屋にいるわけが無いじゃないか、と思ったものの、もちろん議論なんかしない。みんな混乱していたのだ。

コンビニで買い物をしていたら「なんか、にいちゃんの車、ドアミラーを叩いていった奴がおるで!」と外にいた店員さんが教えてくれたこともある。「実は、車は静岡ナンバーですが、住んでいるのは近所なんです」と言ったら、とても同情してくれた。

とにかくそんな「越境者に厳しい時代」があったのだ。
あの時期には、車に「地元在住です」旨を表示してある車を、よく見かけた。
僕もそのように対処(自衛)すべきだと、実家の母は心配していた。

僕はあの”第一次 コロナショック後、アベノマスク時代”の渦中に実家に引っ越したわけで、結局は、嫌がらせ以上の被害は無かった。
でも、あのときの嫌な感じは、今も覚えている。
県外からの移住者の多い高松市で、あの排斥である。もっと酷い場所もあっただろうし、もっと理不尽な目に遭った人も多いはずだ。
一人暮らしをしていて、ふと怖くなることは僕にだって何度もあった。

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今の日本に住む外国人、特にロシア人と比べたら怒られそうな、ささいな出来事ではあった。
ただ、僕たちは気を抜くと”外の人”を排斥する。攻撃する。知らない人を攻撃する。
そういう社会なのだということは、一生忘れない。

 

 

お題「ささやかな幸せ」

 

 

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