所要があり、清水区に赴く。
清水区といえば川の上の駐車場である。正確には、橋の横に広めの橋を架けて有料駐車場としたもの。
巴川という幅の広い河川が駅の繁華街近くを流れていて、しかも古い商業地で空き地が少ないことが、こういった(静岡県中部においては)珍しい形式の駐車場を成立させたのだろう。
駐車場としてはいささか古い、つまり区割りが狭いことは難点といえる。それ以外はとても使いやすい。橋の横にあるので、見つけやすいし出入りもしやすい。
構造上、高層化がしづらいこと、そもそも駅周辺に車で行く需要が少ないことも欠点かもしれない。
昔に比べて数は減った気がする。
今日は道路工事や対向車との成り行きで、えいっと入ってしまったのだが、なんとなく良い気分になれた。商店街の狭いコインパーキングより割安だし、古い街は橋がランドマーク代わりになっているから、用事のついでに散歩をするにも良い感じ。
ただ、調子に乗って散歩をしていたら雨に降られてしまった。
清水銀座のアーケードがあったからびしょ濡れになる前に雨宿りはできたが、気の利いた飲食店も少なくて往生した。
そういえば街は緊急事態宣言を受けて、もう臨時休業に入っている店も多いようだ。
かといって昨年のように、人々が息を押し殺して過ごしているようでもない。商店街の中華料理店では、マスク未着用で入店しようと試みる3人組が追い出されていた。入り口で押し出したあとに「入るならこれをつけろ」と店員が紙マスク3枚を投げて渡していたのが印象的。
SF映画みたいだ。マスクが身分保障から通貨まで兼ねるマスク・ワールドに僕達は過ごしている。
Instagramにも少し書いたけれど、最近よく「SNSで酷いことを言われた」と相談を受けている。
連休中に県外に旅行へ行った、仲間とキャンプをした、帰省した、飲み会をした。そういった「自粛を求められる行動」をInstagramやフェイスブックに載せると、酷いコメントが付くのだという。あるいは職場で話題にしたら注意を受けるとも。
こういった「不本意な世間の圧力」に対して「どうしたらいいのか」とアドバイスが求められるのだ。
僕は自粛要請は必要なことだと考えている*1から、第一に「遊ばなければいいじゃん」と言う。
しかし彼ら彼女らは「でも…」と反論する。もう2年も祖父母に会っていないし、外食をしないと心身が弱る。子供達にとってはかけがえのない夏であり、子供時代の旅行は良い人格を育む財産である、云々。
なるほど言いたいことはわかる。「それらに代わる、心身の糧や友情の発露や、子供への思い出作りを提案できないのか?」と聞いてみるけれど、もちろん彼ら彼女らは思いつかない。そういう問いかけ自体が不本意だと言い出す。
ならば解決策は一つだけ。
黙っていればいい。
様々なリスクを考えて選んだ道ならば、嘘をつくことなんて些細なことだ。SNSの投稿をやめて、職場では嘘をつけば、誰も文句は言わない。
医療従事者や行政に嘘をついてはいけない。でも、他人と社会のリスクより自身の希望を選んだのだから、嘘をつく罪悪感くらいは引き受けるべきだ。自身の行動に恥じ入るところが無いのだったら、堂々と嘘をついて衝突回避をすればいい。
喧嘩をして相手を説き伏せるのが嫌ならば、嘘でもなんでも駆使して世渡りをしていくしか無いではないか。
「でもやっぱり、SNSで自己顕示欲を満たしたい」まで望むのは、この情勢においては(どのような"新型コロナ感”を持っていたとしても)贅沢が過ぎる。
でももちろん、そういう説明を納得する人は少ない。
「まるで自分が悪いことをしているみたいではないか」と不満げな顔をする*2。
誰も悪いなんて言っていない。ただ多くの人と違った選択をしただけだ。
自由意志である「自粛要請」に応えない自身の選択に対して「コメント」が来ただけ。対応は、自身の責任で決める必要がある。「Social」ってそういうもの。
でも正直に言うと、こんな「人間相手にどう振る舞うか」なんて、ウイルスの脅威に比べたら生ぬるい。
僕はウイルスに比べると、比較にならないほど優しい。そう言っても、やはり不満そうなのが辛いところだ。でも本当のことだよ。
あ、例年通り、これが誕生日プレゼントのリストです。今年の誕生日は22日です*3。
興味があったら何かください。昨年はヒヨコマメが多かったです。ヒヨコマメもうれしいけれど、マメだけが好物というわけではないです。