差し迫った用事も仕事も無い火曜日。
いくつか画像作成などの請負仕事はあるけれど、急いで行う理由も無い。
近所で短期のアルバイトでもして引っ越し代の足しにしようかな、と考えてみたものの、今はそういう日雇いイベントのアルバイトが皆無なのだった。
それに、実家に帰れば「新型コロナウイルス感染→ほぼ間違いなく重症化」な状態の家族もいる*1。だから、僕自身の感染リスク回避が、独り暮らしの時よりも切実なものとなっている。不特定多数の人の中に無造作に入っていくわけにはいかない。
しかし部屋にいてもつまらない。読書は捗るが、数時間続けて読んだ本がとてもつまらなかった場合、気持ちがくさくさする。
かといって、大掛かりな片付けや荷造りに手を付ける元気もない。
なにしろ昼間は暑いのだ。じっとしていれば過ごしやすいが、身体を動かすと暑苦しい、そういう時期が続く。
こういう日には「何かタスクを消化しよう」と考えると、安易な流れに身を任せることになる。具体的に書くと、お金を使うタスクばかり進めてしまう。世の中で何が楽かというと、やはり消費である。誰も彼もが、お金を使いやすい仕組みを整えてくれているのだ。
仕方がないので、スーパーマーケットに行き、生鮮食料品を買うことにする。
どうせ生野菜は買うし、スーパーマーケットならば無駄使いも無いだろう。
野菜も肉もヨーグルトも買った。
炊きたてのご飯も準備してあるから、夕食は魚を食べることにした。
四国に住んでいるうちは、四国らしい魚を食べたい。今日はお手頃なオコゼを買ってみた。
オコゼは背ビレに棘がある。刺さると毒の作用で、ものすごく痛いらしい。1日は車の運転ができなかった、シュノーケリング中に溺れた、なんて話を聞いたことがある。
だからスーパーマーケットに並んでいる時には、もう背ビレは切り取られている。
スーパーマーケットでは、背ビレだけでなく、内蔵もウロコも取り除いた「調理済み」にしてくれる。これなら、帰宅して15分で煮魚を作ることができる。肉より魚のほうが簡単な環境、とても恵まれていると思う。
ところが今日のオコゼは、まだ棘のかけらが残っていたらしい。
まな板で邪魔な頭を落としている時に、左手の指先にちくりと痛みがあった。骨が刺さっても、こういう痛さは無い。なんだろうと料理を続けたが、まだ痛い。
疼痛、というのだろうか。見た目は変わりなくとも、指の先から中頃までが痺れるように痛む。熱を持っている感じもする。
とりあえずよく手を洗い、傷から血を絞り出す。ついでに手持ちの鎮痛剤を飲み、塗り薬(抗ヒスタミン剤)で誤魔化すことにした。
ご飯は炊きたて、他のおかずもできているし、オコゼも綺麗に煮上がった。指よりも、まずは夕食である。オコゼ、今日もおいしい。満足した。
誰かのエッセイで「磯魚を煮た汁で大豆を煮ると最高である」と読んだ。ちょうど煮て冷凍しておいた大豆があったので作ってみた。
感想としては「まあ、普通」である。
大豆を煮ておいしいのは、煮豚だと思う。これは静岡のとんかつ屋さんの人気メニューにあった。豚の角煮の汁で煮豆よりもあっさりと(芯まで味を染み込ませない程度に)煮ると、本当においしいのだ。
指は、まだ違和感が残る。
傷自体、もう探さなければわからない程度で、こうしてキーボードも打てている。ただミスタイプは多い。
魚は好きだがフィールドに出る程ではない人間として、こうして魚の毒についてマイルドに体験できたことは、かなり幸運だった。不便もなく後遺症も(たぶん)無く、どういう種類の毒なのかぼんやりと理解できた*2。
確かにこれが本格的に身体に入ったら、おそろしく痛いだろう。
先ほどから手を握ったり開いたりしながら「なるほどー」と感心しているのだった。
そんなわけで今日は、もうおしまい。
明日から雨の様子。それを見込んで、今日はスーパーマーケットへの移動に自転車を使ったのだった。オコゼを載せて四国の地を自転車で走る。たぶん人生で二度と無いだろう。そう考えると、しんみりしてしまう。