市役所
社会保障や戸籍に関する小さなミスがあり、マイナンバー関連の手続きをやり直すことになった。
役所に行きサインと印鑑をして、明日か明後日まで待てば良いだけなのだが、朝に連絡があり何度か電話を待ち、市役所に行き説明を聞き…とそれだけで午前中が潰れてしまった。自分のような暇人だから良かったものの、これは普通の勤め人にはできない対応だと思う。
とはいえ、対応してくれた市役所の人達はとても親切、かつ疲弊しているようなので、これ以上は言わない。「SNSなどで広めてくれるなよ」といった意味の“お願い”もされた。はてなブログでどこまで広まるのか疑問だが、とりあえず具体的なことは書かない。ただ、必要以上に面倒が重なって、いかにも「お役所仕事」だなあとは思う。
帰宅したら「10万円の給付金につきましてはオンライン手続きを中止し、郵送のみで行います」とネットニュースで知った。これは英断なのか、それとも我が高松市の事務処理能力に問題があるのか、僕にはもうわからない。
玉ねぎハニーパンケーキ
なんとなく、非日常的なものを、日常の材料で作りたくなった。
普段は組み合わせないもので作られた料理、海外旅行で食べるようなそれ。といっても、アパートにある品ではそれほど珍しいものは作れない。
そろそろ芽が伸びそうな新玉ねぎ、引っ越しまでに消費したい中力粉、半分食べたプレーンヨーグルト、たまご、それにベーキングパウダーでパンケーキを作った。
はちみつをかけて完成。
味はまあ、普通。これくらいのアイデア料理なら、オレンジページ別冊「春野菜かんたんレシピ」に載っていそうだ。あと一味の工夫が欲しい。
抹茶
濃いめの苦い飲み物、具体的にはエスプレッソが飲みたかった。
でもアパートにはエスプレッソマシーンは無い。
なので、備蓄してある抹茶をしゃかしゃかと泡立てて飲んだ。
どういうわけか、泡立ちが良くないけれど、しかし抹茶味である。
丁寧に、茶室で(お稽古で先生に点てて)いただくそれに比べると雲泥の差ではあるが、目的は達したと思う。
竹茗堂の娘
抹茶で思い出した。
高校生の頃に、静岡市の進学塾に通っていた。夏季休暇中の集中コースだったと記憶している。JRの回数券を何束か親に買ってもらっていたので、進学塾以外にも、かなり自由に静岡の街へ出かけていた。
そんな夏休みに、公園でちょっと変わった人に声をかけられた。
20歳くらいの女性で、学生ではないが普通の勤め人でもない感じ。美容師さんか、インド雑貨屋の店員のような雰囲気だった。
本人は「グリーンティーの家のひとり娘」と自称していた。
静岡でグリーンティーといえばすなわち「ウス茶糖」の竹茗堂である。なるほど老舗の娘さんならば、公園でぶらぶらしていて、知らない高校生に声をかけるような奇行もありえるのではないか、と当時の自分は妙に納得したのだった。なにしろそんな大人は身近にいなかったので。
その人にはいろいろなところに連れていってもらった。
カフェや輸入雑貨店や古着屋さん、自分では大人になってから行く場所だと思いこんでいた場所ばかり。今思うと健全極まりないが、ライブハウスに行ったのも初めてだった。彼女のその周辺の大人達で、僕ははじめて「サブカル」を知った。
おしゃれな人だったし、気前よくいろいろなものを買ってくれた。
僕のような「塾通いの中高生」を引き連れて歩くのが、あの人の趣味だったのだろう。自分のような間柄の学生が何人かいて、彼女を通じて学校以外の繋がりができたのも楽しかった。
家から近い進学塾に通うようになって、静岡行き回数券も使い切り、その繋がりも自然消滅した。
たまに学校を半日さぼって静岡の街に行くことはあったけれど*1、ひとりで好きな場所に出入りするだけで十分に街を楽しめるようにもなっていて、偶然に会えば挨拶をする程度のまま関係(?)は自然消滅した。なにしろ携帯電話もメールも無い時代だったから、若者の繋がりなんてそんなものだった。
大人になって静岡に戻ってきてから、あの夏季休暇に行った店を訪れたことがある。どの店もまあ、大したことがない、どこにでもあるカフェや古着屋や楽器屋だった。
そして何年か後には「竹茗堂の娘」なる人は存在しない、と人づてに聞いた*2。
数年ごとに「ヨシコンの娘」「竹茗堂の娘」「赤阪鐵工の娘」「いなば食品会長の孫娘」を名乗る女性が青葉公園の西端に出没し、高校生に声をかけ、ただ連れ回すのだという、都市伝説じみた噂を知った*3。
自分の知り合いでは、この人に「人生初のマニキュアを教わった」という女性がいる。
そんなわけで、今思うと、相当な変人である。
自分が20代前半で、公園でぼうっとしている高校生に声をかけ、ジュースや食事を与え、得意になって「おすすめの店」に連れ回していたら、これはもう変質者だ。惚れた腫れたの話のほうが、まだ筋道が通る。
性別が違っても、それは大して変わらないだろう。
普通は同年代の、同じ趣味の人達とつるむと思う。行きつけのお店に通い、イベントに参加し親交を深める。行く先々の店で深い繋がりができるわけでもなく「広く浅く、個人経営の服屋やカフェや映画館を訪れる」というのも、ライブハウスや中古レコード店が好きな人にしては、奇妙な行動パターンである。
あるいは、静岡ではつまらないと都会に出ていくか。
とにかく、サブカル乙女にも色々あるが、かなり常軌を逸していた。カルチャー云々とは別の部分でメインストリームから外れている行動だと思う。
とはいえ、暴力や金銭の絡む不良集団というわけでもなく、ややこしい恋愛なども絡まず、煙草も違法薬物にもはまらず、ただ街の面白い場所を知る。そんな奇妙な、ちょっとフィクションじみた1ヶ月と少しを体験させてくれたあの人には感謝している。
僕の趣味嗜好の一部は、あの自称「竹茗堂の娘」さんに決定づけられたのだと思うから。
思えばマイナーな漫画も、チャイも、新聞広告には載らない映画も、あの夏に知った。
当時は「街にはそういう、変わったお姉さんがいる」くらいにしか考えていなかったのだが*4、今のところあの人しか知らない*5。
とにかく、動機はさっぱり想像できないが、親切な人ではあったのだ。
あの出会いが長じて、今の自分があるのだとしたら(あるのだろう)、なかなか人生というのは面白いではないか。
お薄を点てて、がぶがぶと雑に飲みながら、ふとそんな昔の事を思い出したのだった。
今まですっかり忘れていた。帰省して、当時とは様変わりした青葉公園通りを歩いているときにぼんやり思い出すことはあるが、もはや感慨も何もない。そういう事があったなあ、というだけの話。