キリスト教徒にとって、クリスマスイブは夜から始まるのだという。教会の日付が夜に切り替わるから、らしい。
そんなわけで(どんなわけだ?)日没後に「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」を観てきた。
内容は書かない。
僕はとても感動した。
いつもながら脇が甘過ぎる敵陣営*1、劣勢にも程があるけれどやっぱり全員で突撃のレジスタンスの皆さん、そういう全部がスター・ウォーズ。
特に今作は前作まで少しずつ薄まってきた“スター・ウォーズ臭”が強めで素晴らしい。いくらでもスタイリッシュにできるところを技術と予算で若い才能がダサくする。リスペクトを受け続けてきた名作の締めくくりとしては王道だろう。
なんというか、安心してはらはらどきどき出来た。
同様の「名作の締めくくり作品」として、「機動戦士ガンダムUC」がある。最終章(7章立て劇場作品だった)は、ファンサービスてんこ盛りで、「機動戦士ガンダムらしさ」の大放出だった。
日本の長期シリーズもので定番の終わり方である「全てが綺麗に終わったわけではないが、希望の芽は受け継がれた…そして伝説は続く」とはならなかったのはスター・ウォーズらしさなのか、あるいはお国柄なのか。かといって気の利いたトンチで「諸悪の根源も、物語を駆動してきた不思議な力も全部まとめてこれでおしまい!*2」ともならない。
日本のフィクションとの違いといえば、自由意志を持つロボット(スター・ウォーズ世界では「ドロイド」と呼ぶ)の扱いも面白い。これだけ深く物語に関わってきた人工知能、日本の作品ならば「人工知能を超えた何か」になる。能力や認識、あるいは周囲との関係性でもいい、何かしらの変化がある。C3POなんて、日本のSFだったら語り部か墓標になって人類史より長生きしそうだ。でもスター・ウォーズの場合はそういうわけでもなく、1作目から今作まで、ドロイドはドロイドだ。かなり重要な場面も担うのに、である。
とはいえ、日本のフィクションではしばし犠牲になるのもロボットである。人は殺したくないが命を犠牲にしなければならない、そんな場合にはロボットが自ら犠牲になる*3。僕はそういうの大好き。
でもちょっと安易だとは思う。

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サブタイトル通りの「スカイウォーカーの一族」のあれやこれやが終息して、終劇。いつものテーマソングが鳴り響いてエンドクレジットへ。
さっぱりしたものである。
スカイウォーカー家のお話ということはつまり、レイア姫のお話でもある。というかレイア姫(キャリー・フィッシャー)のための映画といってもいい。対になる悪いやつ(皇帝)が種々の矛盾を全て引き受けてくれた感は否めないけれど、スカイウォーカー家と対になる存在だから仕方がない。
自分はさほどスター・ウォーズ・シリーズに思い入れがある訳ではない。子供の頃は「金曜ロードショー」でわけもわからず観ていただけ、大学生の頃からレンタルで観て、映画館通いをするようになって新作を劇場で観ている程度。それでも人生の半分以上に(間に長いスパンを挟みながらも)関わった作品でもあるし、「スペースオペラ映画といえば?」と問われたら、たぶん3番目以内に「スター・ウォーズ」と答える*4。
そういう意味でも感慨深い。
そう、今日の映画鑑賞はとにかく感慨深かったのだ。
ストーリーがどうとか、演出が良かった悪かった、といった話がまるで出来ないし、する気もない。唯一無二だったのだなあ、と帰宅してから途方も無い気持ちになった。超大作で、長く続いて、完結まで付き合える作品に、これからの人生で再び出会えるだろうか。
そういえば、「機動戦士ガンダムUC」の最終章を観た後にも、同じ様な感慨を抱いて帰宅したのだった。スター・ウォーズもガンダムも、人は簡単に死ぬし色々と雑だが、どういうわけか心がぽかぽかします。

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あ、クリスマスということで 今日はシュトーレンを食べて、シャンメリーを飲みました。外は星が綺麗です。
メリークリスマス&おやすみなさい。
今週のお題「クリスマス」