今日で資格取得のための講習会はひとまず終わり。
月末まで数日間の休みを挟んで、12月からは後半の、さらに専門的な講習が始まる。今のところ勉強は順調。
今日でお別れとなる“同窓生”も数人いる。
隣の席の若者もこれで卒業。何ヶ月か一緒に勉強してきたが、この人はついに「何を学んでいるのか」を掴むことができなかった。何を学べばいいのかを知れば、次は「どうすればいいのか?」と問うことができる。義務教育以上の学習機会、特に社会人向けの講習や実習では、教師は「どうすればいいのか」と、その先しか教えてくれない。自分の意志で学ぶというのはそういう事だ。
この人は最後のお別れの時にちょっと気になる事を言っていた。
「失業者は保険証が無いから、風邪をひいても病院に行けなくて辛い」と。この講習の参加者の多くは無職あるいはパートタイムのフリーランサーなのだが、それにしても健康保険証が無いというのは穏やかではない。あれは退職後に手続きを進めていく時に、ほぼ自動的に切り替えられるものではないのか。彼のような人は、大昔の煩雑な手続き地獄には耐えられないだろう。昔に比べたら最近の行政手続きは天国に近い。
とりあえず「家に帰ったら、お母さんに相談してみてくださいね」と進言しておいた。20代も半ばでお母さんもあるまい、とは思うのだが、本人が「はい、おとうさん、おかあさんに聞いてみます」と言うので大丈夫だ。
こういう事ばかり書いていると年寄りの繰り言じみてくるので嫌になるが、しかし最近は大人であっても自分の家族を「お父さん、お母さん、おばあちゃん」と呼ぶ人が増えている気がする。
取引先でそういう言い方をするのは論外。でも雑談をする間柄で、わざわざ「父は、母は、祖母は」と言い換える*1のは、とても他人行儀な事だという。その話を聞いた時、僕は「だって他人じゃん」と言ってしまったのだけれど、あまり共感は得られなかった。
「自分と同じ人は誰一人としていない」と「違う相手を尊重する」は両立できるのだと僕は考える。そのためのツールが礼儀作法であり*2その使いこなしも改変も、時代の空気を表している。
ちょっと面白いな、と思うのが、ヤンキーっぽい人でも「おかあさんが…」と使うこと。どういうわけか、平成の後半から「大学生になっても、社会人になっても、不貞腐れたタイプのヤンキーを維持している」若者が増えている。彼らは総じて、言葉少なくスマホを好み、不活発な故に安全で、そして椅子に浅く腰掛ける。
別に反社会的な人間ではないため(むしろ極めて集団に馴染んでいる)話してみると「悪い奴ではない」のだが、でも変なところで言葉遣いを間違える。そのぶっきらぼうさ加減で「おばあちゃんが…」は無いだろう、と思うのだが本人にとっては家でそう言っているから間違いではないのだ。
この「ウチとソトの融合」は、今後さらに加速するのではないか。ほら、敬語って疲れるからね。
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そんな事を思った「前学期の最終日」だった。
僕は「後学期」でも、「ちょっとむずかしい若い子」を隣の席にあてがわれる予定。先生がこっそり教えてくれた。社会人の講習でも、組み合わせに失敗すると大変な事になるので、席の割り振りは大変とのこと。
こんな事を誇っても仕方がないのだけれども、自分はしかし大抵の「へんな人」に耐性がある。正確には、影響されづらい気質なのだ。
そして今日のお弁当はこんな感じ。
- 蕎麦ごはん
- スパニッシュオムレツ
- 鶏ハム
- 青菜のおひたし
- もやしのナムル
- サツマイモの甘煮
- リンゴのコンポート
明日から連休であることを失念して、冷蔵庫は作り置きおかずの保存容器が溢れている。まあ家で消費すれば良いのでかまわないのだが。
スパニッシュ・オムレツは昨日のドライトマトのオイル漬けを作った容器をそのまま活用した。
洗い物を減らすためならば夜中に1品作る手間も厭わない。
それが僕のスタイル。そして(だから)今日は寝不足。おやすみなさい。
明日からの連休は、たぶん香川県の探検と、部屋の片付けで終わる。
どこに行くかは決めていない。元気があれば隣の県まで行くかもしれない。松山の動物園とか。