統一地方選挙
琴平電鉄のターミナルビルである「瓦町FLAG」に期日前投票の会場がある。雨だったから地下駐車場が有難い。
行く度に寂れていく駅ビル。
リニューアルした階は店の数が減っていて、なんだかよくわからないスペースが生じている。
その空きスペースには衝立やガラスケースが置いてあって、老人会や街おこしイベントの展示品やポスターがある。小さなテーブルと椅子があれば「交流スクエア」であり、自販機があれば「ふれあいカフェコーナー」になる。東北や北陸を旅していた時に、乗り換え駅にこの種の“官民共同事業”が必ずあった。行政が設置した無料Wi-Fiを目当てにテーブルを占拠する中学生意外に、利用者はいない。
瓦町駅はこの辺りでは最も栄えているのだけれど(スターバックスだってあるぞ)それでも衰退している雰囲気は隠せない。なるほど日本は縮みつつある。
さてそのターミナルビルで選挙をしてきた。
選挙内容についてはここでは書かない。
政治について多くを語るほど知識もない。でも選挙には行く。
選挙は行ったほうがいい。
よくわからなくてもいいから投票はする。すると、なんとなく結果も気になるし、政治ニュースにも当事者感が沸いてくる。
大切なのはこの当事者であるということ。
子供の頃に半強制的に運動部に入らされて、大した成績も残さず今はまるでそのスポーツに触れていない、そんな人でも、オリンピックで自分が経験したスポーツに興味を持つことができる。
大人になって、会社の人に誘われて2回だけヨットに乗ったことがある。それだけで、深夜にYouTubeでヨットの動画を楽しむことができる。ヨットの技術や用語なんて全然わからないのに、だ。
情報だけで当事者である実感を得られる人は少ない。でも、紙に名前や党名を書いて箱に入れるだけで、全然認識が変わる。
自分が支持した人が勝つかどうかは、この件には関係無い。
もちろん勝ってくれれば有難いが、負けても「選択をした」という経験は変わらない。投票をしないでそこまで当事者感を得られる人は珍しいと思う。旅行と同じで、まずその場所に行くことが大切なのだ。
それに自分の経験では、議員さん達は得票率をとても気にする。
与党のベテランで当選確実な人でも、目標の得票率がある。そして万が一、敵陣営の得票数が予想より増えたら、自身と党の戦略を考え直さなければならない。たぶん党内や派閥内での力関係もあるのだ。
だから、「この人に入れてもどうせ落ちるんだろうな」と思って、他に支持する人がいなかった場合でも、投票はした方がいい。巡り巡って、社会を変える。
ドント飯店
街の小さな中華料理屋で炒飯を食べたくなったので、瓦町駅近くの「ドント飯店」に行ってきた。
炒飯と唐揚げのセットを食べた。
びっくりするくらいに量が多い。
暖簾をくぐる直前まで忘れていたが、ここは黙っているとかなり大盛りになる店だった。
先月に退職する際に、同僚や関係者に「高松の街でおすすめのお店」を教わった。どうやら中心街はノスタルジックな思い入れがある人が多いようで、「学生時代に部活仲間と食べまくった店」がそのリストに多い。つまり安くて量が多くて古い店だ。
炒飯はとても美味しかった。
この店の唐揚げは好きな味だ。
カバンの奥に眠っていた「餃子1皿無料券」でいただいた餃子も良い感じ。どれも、家では作れない味。満足した。
しかし満腹が過ぎる。
今日は夕食が要らない。ビタミン剤と牛乳だけで晩ご飯はおしまい。
そして支払の際に出した「餃子1皿無料券」が、そのまま返ってきた。「まだつかえるよー」とのこと。よくわからない。永遠に餃子1皿が無料になるシステムなのか。
ぴかぴかではないし全体に油っぽい、でもしっかり清潔で、店主ご夫妻は元気で明るく*1、奇をてらった部分が無い、安くて美味しいお店。定期的にというか発作的に行きたくなる。
ちなみに「おすすめリスト」には「最初の頃のデートには向かないかもしれないっすよ」と添え書きがあった。かもしれない、ではなくて基本的にデート用の店ではない。しかしもちろん、全然かまわない。そもそもそんな添え書きは僕の生活には不要なのだ。
野菜の値段
イオンで青果および乳製品を買う。
野菜の値段がおかしい。
安くてあたりまえの夏野菜が高い。ちょっと高めの果物や輸入野菜が激安だった。天候不順なのだろうか。

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放火事件
京都アニメーション、というアニメ制作会社のスタジオで放火事件があった。亡くなったかたもいて、痛ましい限りである。
自分はこの建物を見たことがある。
友人の家が近くにあって、泊まらせてもらった時に見つけた。
線路や幹線道路に囲まれた住宅街のいちばん奥、用事が無ければ行かないような場所にあった。
アニメ制作に疎い自分でも、いくつかの作品で見た記憶がある。こんなところで作っているのだな、と思ったものだ。
よくコンピューターグラフィックスの雑誌に取り上げられていた。
東京の中央線沿線を散歩していると、小さなアニメ制作会社はあちこちにある。雑居ビルに入っていて、見た感じ華やかさに欠ける。作品のポスターだけがキラキラしていて、建物とのギャップが凄い。
そういう意味では、京都アニメーションのスタジオは、アニメ制作会社っぽさが無かった。どちらかといえば介護施設、老人ホームのような、あるいは小規模な精密機器製造工場のような建物だった。
ふわっとした格好の女性がたくさん出入りしていた事も記憶に残っている。
Twitterでは、漫画やアニメに関わる多くの人達が、自制しながらも、怒りと悲しみと、それから今後の寄付やサポートを表明していた。似た業界としての親近感もあるのだろう。
でもそれだけではない、たぶん。
良い仕事をしてきた会社なのだと思う。
何かあった時に赤の他人が「助けてあげたい」と思う組織と人がいる。自分もそう考える他人はいるし、自分が苦しい時に思いもがけない人から援助があった事もある。
目の前に苦しんでいる人がいたら助ける。そういう気持ちを引き出せる仕事を為せる組織や人はそんなにいない。
繰り返しになるが、痛ましい事件だ。1人の人間がその気になれば、他人の人生を簡単に滅茶苦茶にできる。そして、これからもずっと「京都アニメーションとその作品」は、この事件の影がつきまとう。恐ろしいことだ。
その規模や有名なアニメ制作会社という対象から、ある時代を象徴する事件になってしまうかもしれない。例えばオウム真理教のテロや、宮崎勤の事件や、秋葉原の通り魔のように。
とはいえ、まだ詳細はわからない事件。今は悼むことしかできない。

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*1:日本語と中国語を織り交ぜた会話をしている。よく混乱しないものだ。