午後に半休を取って、大島に行ってきた。
職場からそのまま港へ、そして船に乗って30分で静かな瀬戸内の島に着く。なんとも不思議な感覚。仕事の都合を考えて突発的に取った半休、かつ仕事用のお弁当を船で食べたこともあって、日常と非日常がシームレスに繋がってしまった。
大島については、高松市の説明が詳しい。
ハンセン氏病患者のサナトリウムがある島だ。今も高齢の患者さん達が住んでいる。治療という名目で、差別と隔離が行われた負の歴史がある。そして、今はその啓発と鎮魂の島でもある。
瀬戸内国際芸術祭の会場としては、やや異質な島といえる。
小さな島だ。
無料の船*1で到着して1時間もかからず主要な展示作品を見ることができるだろう。小さな岬をぐるっと巡るハイキングコース*2を歩いても追加で30分程度か。
島全体が療養所となっている。敷地の半分以上が今は無人で、かつての居住エリアや公園を散策することができる。島の中心には歴史が学べるコミュニティセンター的な建物もあって、ジオラマやパネルの説明でハンセン氏病患者がどのような境遇であったのか、わかりやすく学ぶことができる。
瀬戸芸の展示作品に加えて、この“島そのもの”をじっくり見ることで、船の間隔(2時間程度)に合わせた滞在ができる。
ボランティアスタッフによる無料ガイドもある。
今回はパスしてしまったけれど、このガイドを活用するのが、この島を深く理解する近道だと思う。ハンセン氏病と療養所についてぼんやりした知識だけで巡るのは、おそらく意味が無い。
療養所自体は戦前から続く歴史がある。
しかし道を歩いている限りでは、綺麗な建物や設備が多い。無人となった住居や共同施設だって、昭和の後半、僕が子供の頃の雰囲気だ。住人(患者さん)が激減している状況で、どうしようもない廃墟というものが見当たらない*3。むしろ、新品同様の道やガードレールが目立つ。
目立つといえば、様々な宗教団体の「碑」があちこちに設置されている。鎮魂や記念や祈念、寄贈についての石碑。元よりキリスト教や仏教との関わりが強い病気ではある。ハンセン氏病の隔離病棟は各地で見てきたが、ここまで多い場所は珍しい。
今はもう島全体が、行政と宗教の「聖域」となっている、そんな風に感じた。
良いも悪いもなく、風景のあらゆる部分に人の想いが込められている土地なのだ。
そういう島にある瀬戸内国際芸術祭の展示作品だから、もちろん作品のテーマも島の歴史に沿っている。もちろんその意図は十分に理解できる。
でも、静謐で隔離された世界を見てきた後で、古い住宅の中をペンキで塗りつぶし、ゴミや流木を組み合わせた「アート」を見せられると、なんというか頭がくらくらしてしまう。
別に文句を言っているわけではない。いかにも(芸術祭の)現代アート、という作品群が、その時の僕の頭に上手く馴染めなかっただけだ*4。
それくらいに、この島の風景と歴史は、心を複雑に波立たせる。
瀬戸内海の、他の島々に比べて整っている建物群。
廃墟ですらしんとした趣きがある。
住人や世話をする人達は遠くに見えるだけ。弱視や盲人である患者さん達のために、各所のスピーカーからチャイムが絶え間なく聞こえ、歩道は整備されている。砂浜がいちばんゴミが多い。
海の向こうには高松や庵治の建物が見える。反対側には小豆島の街も見える。そういう場所に、家族の縁を切られ、名前を変えさせられた「業病」の人達が住まわされていた(いる)のだ。
今日は偶然、患者さんの親戚という老人と話すことができた。
「来てくれて嬉しい」「知ってくれて有難い」「芸術祭、大歓迎だ」と仰っていた。嘘ではないと思う。
でも僕はずっと何処か後ろめたかった。「こういう場所に、物見遊山や半端なアート鑑賞で訪れていいのか。スマホで撮影してかまわないのか?」と考えてしまうのだ。
今だってそのもやもやした気持ちは続いている。
あの静かで美しいハイキングコース、まるで「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり:壁の街」をとびきり明るくしたような療養所の建物群。
正直なところ、瀬戸芸の作品それぞれではなくて、島の風景ばかり思い出す。作品自体は申し分無いのだけれど、今は歴史に頭がやられてしまった感がある。
無理矢理まとめると、「それでも、行って良かった」と思う。
明日への活力にもならないし土産話にもならない。お気に入りのアート作品に出会えたわけでもない。もしかしたら今夜は寝不足になるかもしれない。でも、行って良かった。