ちょうど一週間前に、犬島に行ってきた。
目的地は犬島そのもの、そして犬島精錬所美術館。
建物だけでも見応えがある。
かつて10年しか稼働しなかったという銅の精錬所を整備した美術館。至る所に、鉱滓*1をそのまま型に流し込んで作ったカラミレンガが使われている。黒や赤の溶岩みたいなレンガが独特の異世界感を見せていて、どこか遠くの国の遺跡みたいな風景だ。
崩れつつも立っている何本ものレンガ煙突も島の風景に特徴を与えている。
この見た目、わかりやすい面白さから、瀬戸内国際芸術祭に関係する施設のなかでも有名かつ人気がある。島自体は1時間もあれば散策可能な小さな、そして他の島々からは寄り道となるコースだが、芸術祭が開催されていない時でもお客さんは多い。
こういう面白い風景の場所は、混雑するとつまらない。
島の散策では同じ船で上陸した観光客が同じルートを辿ることが多いため、いきおい人気の撮影スポットで小さな混雑が生じてしまう。
自分は上陸してからまずは腹ごしらえをしたので、“先鋒”が美術館内に入った後に、この外構を存分に楽しむことができた。
確かに素晴らしい場所。軍艦島も良かったけれど、あそこは常に他人がいるし、コースから外れることも立ち止まって自分のペースで巡ることもできなかった。
たぶん瀬戸内国際芸術祭が始まってからは、視界に誰ひとりとして入ることなく、存分にあのレンガの遺構を巡ることはできないだろう。
音が不思議な響きかたをして、歩いているだけで色々と考えてしまう場所だった。
美術館の展示は数点。建物自体に展示品が組み込まれているタイプの美術館で、半分は地下に、残りは追加された建物の中にある。
三島由紀夫をテーマにした作品群なので、短編でもWikipediaでもいいので、彼について知ってから行くと味わいが激増する。あるいは、きっちりとパンフレットや説明パネルを読んで巡ると良いだろう。
自分は三島由紀夫については詳しく無いけれど、最初の展示(暗い廊下の曲がり角に遠くの空や人が映され、背面には燃えさかる太陽が見える、潜望鏡のようなつくりのもの)を見ていて、ああなるほど三島っぽいなと合点できた。でなければ、ただの面白い豪華なカラクリ小屋だったので、気づけて良かった。
知っておかなければ楽しめない物事、というものがある。少なくとも美術芸術の世界には確実に存在する。教養と知識が土台になければ単なる見世物という場所だ。
教養が無い場合は、ぼんやりとした違和感や驚きや感慨のみを抱えて展示を後にすることになる。
それでも全然かまわないのだろう。
だってこの美術館だって、他の瀬戸内国際芸術祭関連の展示だって、「ある程度の知識を最初に入れてから鑑賞する」仕組みが整えられていないのだから。それは制作者がそこまでを求めていない、この展示でいえば三島由紀夫についても、そして美術館自体のコンセプトについても数10秒の説明だけで済ませていることからもわかる。なんか不思議な迫力があったね、写真を撮りたかったね、で済ませることを許容しているのだ。
しかし、しかしである。この美術館には、それを許さないボランティア・ガイドが1名いる。
展示を8割ほど見て、サンルーム兼休憩所兼説明資料室みたいなところに入ると、ひとりの老婆が待っている。
彼女に“捕まる”と、概ねこういう説明が始まる。
- あんたはガイジンか日本人か。日本人なら説明するから来なさい。
- あんたはこのレンガの性質について知っているか?
- この建物は電気を使わないのに外より暖かい(or涼しい)だろう?
- その説明を他の若いガイドからきちんと受けたか?
- あの連中はレンガの性質について語らない。それではこの美術館を説明したことにならない。
- 私は昭和天皇と同い年である。
- 子供の頃には廃墟となっていたこの精錬所が遊び場だった。
- この夏涼しく冬暖かい建物は、採鉱レンガの性質と煙突の構造によるものだ。
- 精錬について、鉱滓について説明してやる。
- 三島由紀夫という作家と、この展示群についての繋がりについて知っていたか?
- 建物の歴史、レンガの性質、三島由紀夫の生涯、それらを理解したうえでようやくこの美術館の「ほんとう」がわかるのだ。
- どうして他のガイドはそういう大切な事を言わないのか。
- だからみんな、写真だけ撮って帰ってしまうのだ。
- 自分は土日のみここで説明をしている。また来るのなら夏に来て欲しい。きっと涼しい。私がその時に生きているのかはわからないが。
- ところで途中の通路で波形の鉄板が使われていることに気づいたか。その理由を述べよ。
- どうして他のガイドは(略)
だいたいこんな感じで、長めの、そして激しい口調での説明が行われる。老婆の手元には図録もあるけれど、はっきり行って図録なんて要らなくなる。
僕は知識としてかなりの部分を知っていたのだけれど、なにしろかの地で生きてきた人の言葉である。これはもう、美術館の展示以上に価値があると思う。
いささか口が悪い(他のボランティア・ガイドや観光客を貶す必要があるだろうか?)うえに、おそらくは美術館が求めている説明とは少しズレている。科学的に全て正しいともいえない。話は脱線するし、繰り返しも多い。
ある意味でイレギュラーな人なのだ、この犬島精錬所美術館では*2。
だからインターネット上では、このお婆さんについては評価が分かれている。
自分の場合は、
- 気楽な一人旅で、帰りの船まで十分な時間がある。
- 後でもう1回、最初から鑑賞するつもりだった。
- 知識と教養は買ってでも欲しいと考える。無料ならばなおさら。
という事情もあり、40分以上はこの人の説明を独り占めしていた。
いちど、この美術館と展示を企画制作した側(芸術家の人達)と、美術館を運営する福武財団に聞いてみたいところではある。彼女の存在はコンセプトに合っているのかと。
全体的に押しつけがましいお婆さんではある。
ほとんどの来訪者にとっては「お呼びでない」と思う。後で冷笑する若者集団にも遭遇した。
しかしこういう人がいてもいいじゃないか、と僕は考える。東京の新美術館でアニメとか美少女が出てくる現代アートの展示をやっている訳ではないのだし*3、これもまた旅の醍醐味だと思うのだ。
せっかく小さな島に来て、その土地でしか作れない美術館を訪れたのだ。このお婆さんはまさに「犬島ならでは」ということで、価値がある存在だと断言する。
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いや本当は、40分も、そしてかなり強い口調のお話を拝聴するのは、少なくともその時は「参ったなあ」と思ったのだった。
島巡りを一通り終えて、美術館にもう1回入って展示を見て*4から、きちんと気持ちが整理できたわけで、徹頭徹尾物見遊山気分で上陸した観光客にとってはたぶん迷惑老人以外の何者でもないだろう。
犬島精錬所美術館とそのスタッフに望むことは1つ。
あの老婆の“熱”を、どうにかして他のガイドにも伝え、そして老婆以外の物静かで十分に親切で指導の行き届いた若いガイドの態度が老婆に伝わるようにして欲しい。足して2で割るのは難しいにしろ、現状は「名物ガイド」として敬して遠ざけ、あるいは道化となっていて、たぶん双方のためにも、そして来訪者のためにもなっていない。とても難しいことではあるのだけれど。
そして今になって、改めて考える。
大規模な現代美術になんて興味も理解も無かった老婆が、その晩年に際して遭遇した「静かな島の廃墟を利用した美術館」で魂に火が付けられ、こうして毎週土日に(標準的なガイドよりも何倍も激しく、そして場合によっては迷惑な)説明を行っていることに。
凄い人生だ。
芸術とは恐ろしく素晴らしいものだ。
それ以外の「犬島」については簡単に。
ご飯は「Sima Sima」という古民家カフェで食べた。
ここは大当たり。
お昼のセットは1種類。春の鰆を中心にした和食。
島自体にはカフェご飯っぽいカレー屋*5と、夏の観光客向けの店、それに船着場のチケットセンターのレストランしか無いため、きちんと丁寧に作られた食事が食べられたことは幸運だった。
あまりに気に入ったので、お茶の時間もこの店に再訪した。
コーヒーも美味しいし、金柑のパウンドケーキも素敵。店主さんに島のことや芸術祭のこと、色々とお話を聞けたことも収穫だった。
ひたすらに控えめな人だったけれど、静かな日常の島の素晴らしさについては楽しそうに話してくれる。本当に島が好きなのだと伝わってくる。
この店に行き、犬島精錬所美術館に行く、そのためだけに犬島をまた訪れても良いくらいだ。
何度か書いている通り、島自体はとても狭い。迷うこともないだろう。いわゆる瀬戸内国際芸術祭関連の展示(家プロジェクト)は集落に集中しているし、その反対側の海水浴場まで歩いても時間が余ってしまう。
のんびり歩くことが目的の人間(僕だ)が、穏やかな季節に時間を過ごすには最適な場所。気がつくと視界に誰もいない、なんてことが当たり前。採石で栄えた島らしく、色々なものが石を積まれて作られている。入江そのものが採石の跡だったりもする。
10:15の便で島に上陸した場合、犬島精錬所美術館と周辺の展示群だけならば13:00に帰りの高速船に乗ることができる。この場合、ちょっと慌ただしい。
次の便、15:20が高松港まで帰るには事実上の最終便となる。自分はこのスケジュールを採用した。
直島の宮浦港でフェリーの乗り継ぎ待ち(30分程度)があって、高松に戻ったのが18:00ちょうど。直島と帰路のフェリーでは知らない大学生集団と知り合いになれたのだけれど、それはまた別の話。
うん、良い旅だった。
日帰りではちょっと不便。たぶん本州側からならば、直島や豊島も含めて巡るには良い場所だと思う。直島にでも泊まれば存分に楽しめる。おすすめの場所です。行って良かった。あのお婆さんに逢えて良かった。
最近あまり紙の本は買わないのだが、CasaBRUTUSの2018年8月号は内容充実でおすすめです。少なくとも四国に住んでいると便利。
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