高松はとても狭い街で、前職でお世話になった人達*1に偶然再会することも珍しくない。僕は仕事に慣れるのに精一杯で、かつ他人の顔や名前をまるで覚えられない質なので、街ですれ違っても「あ、どこかで見た人だ」くらいの認識だけれど、相手はばっちり覚えている。自分にとっては親会社あるいは取引先の1人だけれど、相手にとっては「静岡の○○さん」なのだ。
グループ内でちょっとややこしい立ち位置にあった前の勤め先、かつ仕事で関わることの少ない静岡人ということで、顔も名前も覚えられている。先日、街で再会した人は、僕が転職してこの街に住んでいることを知って、たいそう驚いていた。
そして、今日は職場に挨拶に来てくれて、コーヒーを飲みながら少し話ができた。
そのお茶の席で、「男の独り暮らしで自炊といえばカレーでしょう」という話題になった。「どうせ凝るんでしょう、スパイス色々足したりして」と。
僕はそれほどカレーは作らない。
洗い物が面倒、献立に制限ができる、鍋だって空かない。簡単便利だけれど、別にわざわざカレーを作りたいとは思わない。いわゆる「男の料理」として妙に凝ることもない。秘密の隠し味なども無い。
でも実は、昨日久しぶりにカレーを作ったのだった。
特別な作り方はしていないけれど、ジャガイモが無かったので玉葱を増量することになってしまった。
カレーに限らず、玉葱の薄切りやみじん切りをベースにした汁物の時は、水やお湯の代わりに玉葱茶を使うことにしている。健康に良いのかはわからないが、なんとなく勿体ないので。
玉葱を切る時に、表面の薄皮の綺麗なところだけを熱湯が入った器に放り込んでおく。
野菜や肉を炒め終わった頃に、この茶色く煮出した「玉葱茶」を鍋に注ぎ入れる。皮はもちろん捨てる。
カレーでは味が消えてしまうけれど、豚汁やスープではほんのりと風味が感じられて面白い。玉葱そのものとは少し違う風味。
カレーで工夫、といえばもう一つ思い出した。
今回、ジャガイモが無かったせいもあって、いわゆる“しゃばしゃば”な状態となってしまった。
このような時のリカバリー策として、自分の場合はレンズ豆を使う。
レンズ豆は吸水不要ですぐに使えるし、火の通りも早い。量の加減も楽で、後から追加するのに都合が良い。そして、カレーにちょうど良い粘り(粘るわけではないが)を生じさせる。
レンズ豆は鉄分っぽい風味があるけれど、カレーならば気にならない。最初から使うのならばヒヨコ豆、でも途中で加えるのならレンズ豆に限る。
というわけでカレーに関しては、男の手料理的なものに縁遠い、どちらかといえば栗原はるみ的な工夫しかしていない。
自分でももう少し洒落っ気のある自炊生活をしたいと思っているのだけれど、どうにも上手くいかない。ギャルソンエプロンをしていても所帯じみて見える、と大学時代には笑われたものだ。今もそれほど変わらない。
そして今日の(所帯じみた)お弁当はこんな感じ。
職場で食べるお弁当が所帯じみていても別にかまわない、と思う。お花見に行くわけではないのだから。
でも今日は件のお客さん(前職でお世話になった人)に笑われてしまった。「茶色い!」とのこと。仕方がないことなのです。
*1:以前の勤め先の親会社がある。