出張中。
いま東京のアパホテルに泊まっている。
価格と立地から選んだけれど、いつ泊まっても酷いホテルだ。ビジネスホテルとしては小綺麗で便利なのだが、やはりあちこちに配置されている“社長の自意識”が気持ち悪い。
ベッドや書き物机から見える場所にある書籍は背表紙を壁側に動かして見えないようにした。
Wi-Fiのパスワードが載っているという理由だけで電源を入れたTVでも、社長の推奨する本や講演ビデオの案内が映される。
その主張の是非は別にして*1、どうしてビジネスホテルでこんな押し付けに遭わなければならないのか。宿はまず安らぐためにあるという基本を忘れて何がホスピタリティだ。
フロントで貰ったペットボトルの水は冷蔵庫に入れてある。ラベルには社長の顔写真が印刷されているが、こんなものは明日にはゴミになるのでかまわない。
転職してからもうすぐ1年、自分史上では最も「ビジネスホテル泊」をしている。
どうやら全国チェーンのビジネスホテルは、何かしらの政治・宗教・自己啓発メソッドを押し付ける傾向にあるようだ。ホテルチェーン毎にそれぞれ異なるが、中規模以上のホテルには必ず妙な本が机に置いてあって、パンフレットや機関誌がロビーにあり、「興味がある方はフロントまで」と案内がされている。
たぶんそういう事が可能な規模なのだろう。
もう少し大きいと、株主や何かがその偏りを修正する。
小さい会社はそこまでオーナーの我が儘を許す経済的余裕が無い。
もしかすると、自分と似た境遇の勤め人(経費を節約しつつ泊まりがけの出張をするビジネスパーソン)の琴線に触れるメッセージで、自分はたまたま不満に思っているだけなのかもしれないが。
「ああ、この前泊まった東横インの『内観』も素晴らしかったけれど、アパホテルの田母神先生の本で日本人としての誇りを取り戻すのは格別だ。明日の会議もがんばるぞ!」とか、みんな元気を貰っているのだとしたらどうしよう。
でもまあ、泊まっている時は気分が悪いけれど、宿を出ればすっかり忘れてしまうのも、この種の“押し付け”なのだ。ただ次に泊まる時に「ああそうだった」と後悔するだけ。
小さなホテルや観光地の宿にそっと置いてある聖書や仏教本、あれは別にかまわない。机の引き出しに忍ばせている分には全然邪魔ではない*2。
以前、ぱらぱらっと聖書をめくっていたら、旧約聖書的に怖い文言にびっしりと赤線が引いてあってちょっとだけ驚いたが、あれはあれで趣きがあって良かった。非日常に深みが増した。
さて寝ます。
晩ご飯はお寿司でした。取引先の人が連れていってくれて、緊張したけれど美味しかったので良しとする。
コースでも○○御膳でもない、クラシックな江戸前寿司を東京で食べたのは人生初かもしれない。お値段以上に上等な体験だった。
もりもり食べていたら「朝ごはんにどうぞ」と太巻き寿司と小さな稲荷寿司(握り寿司サイズ)を作ってくれた。有難い。気が利いている。