奈良県のお土産、レトルトパック入りの茶粥が親戚の家に放置されていて、誰も食べないので貰ってきた。というか、その親戚が長期入院することになって、家をいったん空にすることになって、両親がその片付けに駆り出されたのだった。
今から書くことは、あるいは失礼かもしれない。
しかし日記として、他に書くことも無いのだ。だから記録し、公開する。個人的な意見として。
茶粥というのは、レトルトで食べるものではない。断じて、無い。
数あるお粥のなかでも、適当に温めて忙しい昼食*1に供するレトルト食品にしてはならない品の筆頭ではないか。
これは心持ちの問題である。
あるいは奈良の山奥で、静かな禅寺で一晩の宿を借りた朝に若き修行僧からいただいたら、このレトルトパック茶粥もまた特別な滋味を感じられたのかもしれない。刻んだ漬物と少しの味噌だけで、ああ有難いと自然に手が合わさったかもしれない。
しかし残念ながら、今日のそれはそれほど幸福な出会いではなかった。というか、冷蔵庫にあるものでおかずが作りづらい主食だった点で、既に“失敗”だった気がする。
茶粥については、粉みたいなほうじ茶の“だしパック”的なものがあったはずだ。あれで作ると、簡単に本格的なものが完成する。
今回の話には関係無いけれども、前の勤め先で知り合った年若き友人は、和歌山への旅行でこの茶粥に出会って「マヨネーズをかけたら美味しくなった」と写真付きで説明してくれた。ホテルの朝食ビュッフェでパンが品切れ状態だったとのこと。
「わたしは基本的に好き嫌いが無いから。特にお米を残す人は許せない」とも言っていた。
なんであれ、その一椀を美味しく工夫する、その心こそ仏への道であろう。彼女はマヨネーズの奥に仏道を啓いたのだ。
合掌。
*1:昼休みに帰宅し、『あるもので適当に済ませる』スタンスで自炊し喫食しそして職場に戻るパターンが最近は多い。今日もその日だった。