仕事を定時で終えて、急いで知人の家へ行く。日没までに山で筍を掘り出さなければならない。
知人の実家が山を所持していて、今の季節には筍掘りを頼まれるのだ。
よくある、竹が増えすぎて山が荒れる、という状況の対策として、春には知り合いが大挙して筍を掘りにくる。とはいえ休日の子供連れだけではたかが知れているから、こうして平日にも来られる大人に声がかかる。
筍は好きだ。春は新鮮な筍があれば、料理の幅が拡がるし、それで知人の家が喜ぶのならば一石二鳥というもの。ありがたく掘らせていただく。
作業はとても簡単。
道具は貸してくれる。山の入り口から5分ほど登れば、あたりは竹林。筍は取り放題。
大きめのものは、これ以上育つのを防ぐために、木槌か何かで折られている。掘るのは小さめのもの。食べるにも小さいほうが美味しい、と思う。
皆でわいわいと遊びで掘るよりも、一人でするほうが早い。あっという間に3本が収穫できた。
この家と山の素晴らしいところは、山を下りたところに、
- 筍と道具と手を洗う場所
- 皮を剥く場所
- ビニール袋など
- 手製のかまど
が用意されていること。
特にかまどは有難い。
今はIHヒーターの台所も多く、アルマイトの大鍋が使えない家が珍しくない。
大きな寸胴鍋が2つ置いてあって、井戸水がぐらぐらと煮立っている。ちなみに米糠(たぶんコイン精米機から貰ってきたもの)も用意してあるあたり、気が利いている。
筍掘りが終わって、片付けをして、しばらくお茶でも飲んで、そして持ち帰るのは茹で上がった筍だけ、という無駄の無さ。ユーザー目線というか、何が筍掘りで面倒なのか、をきちんと見据えた工夫だと思う。
そしてこのかまどの番をしているおじいさん(知人の父)が、とても親切なのだ。
大きな中華包丁を振るって、まず剥いただけの筍を切ってしまう。そうするとゆで時間が早くなる、という道理。味に変化無し、とも。
見ると、巨大かつ重い鉈みたいな包丁と、もう少し小さい包丁(でも家庭用ではない)を使い分けている。手伝わせてもらったけれど、上手く切れると実に気分が良い。
筍掘りなんて田舎ののんびりした風物詩に見えるが、こうして合理的な工夫が盛り込まれているだけで、ずいぶん違って見えてくる。それくらいに「竹林で山が荒れる」問題が深刻なのだろう。行政も竹林対策は行っているけれど、このワンストップサービス化は見習ってほしい。
さっと掘ってぱぱっと下ごしらえして、1時間もしないうちにビニール袋2袋分の茹で筍が手に入る。なかなかに充実した、定時退社日だった。
筍はとりあえず若竹煮にしました。
固い部分は切ってピクルスに。これは後日のお楽しみ。
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