先日、Tumblrに少し書いたのだけれど、我が家に変な来訪者があった。知らないおばあさんが「猫を貰ってくれないか」と声をかけてきたのだ。我が家というか、自宅のある私道は他の家
の玄関も面していて、ちびっ子の遊び場でもあって、休日はそれなりに人の姿がある。町内会の関係者も出入りするので、声がかけやすいのだと思う。そのおばあさんは、あちこち人のいるところを訪問し、猫の貰い手を探しているわけだ。
その猫は、帰省した娘夫婦が置いていった、と説明していた。
「デブになって、可愛くなくなったから、家では飼えない」とのこと。そういう理由で猫(家族)と別れる人は珍しいのではないか。
珍しいというか、かなり問題があると思う。そんな理由で、県外から帰省の折に、実家にケージと餌とトイレ砂と共に老母に押し付けるというのは、なかなかできる事では無い。
異文化、って思う。ちなみに群馬県から来たそうだ。野蛮人め。
もっと言うと、だからといって平気な顔で見知らぬ人に「太っているし、可愛くないかもしれないが、アメショーという良い品種である」と薦めるおばあさんも、何かがぶっ壊れている。
ちなみに猫は、写真で見る限りは、きちんと可愛い。太っているといっても、肥満猫界では中の上クラスだと思う。もっとむっちりして、でも可愛らしい猫だって存在するし、繰り返しになるが「可愛くないから捨てよう」は、とうてい受け入れられない。
さて、今日は早く仕事が終わった。
友人も交え、明かりを灯したガレージで自転車整備をしながら雑談などをしていた際に、そのおばあさんがやってきた。
A4サイズに印刷した(こういう人はインクジェットプリンタのインク詰まりを気にしない。理由は不明)猫の画像を掲げ、先日よりも少し丁寧に語る。
「太ってしまったため、飼うことができなくなったハーマイオニーちゃん(雌)。でも、高級な品種である。2年飼ったため、ペットショップでは引き取れないと言われた。あなたたちが飼ってくれると、彼女(猫)も、彼女の元飼い主(娘家族)も、そして私も嬉しい。ケージと餌と猫砂もつけちゃう」
僕は、ちょっと怖くなってしまい、どうやって断ろうかと言葉が出ない。「かわいそうなおばあちゃん」というには元気かつ派手な、そして困っている感じがまるで無い人だが、だからこそ怖い気もする。そうかハーマイオニーちゃんか。
僕が黙っていたら、友人が先に答える。
「なるほど。脂の乗った猫は大好物です。身体も温まります」
なかなか言えることではない。良いアドリブだと思う。
モラルに反する言葉に、さらに反する言葉をかぶせる。喜劇性と理不尽と悪趣味が混ざっている。イギリスっぽさもあるが、それは関係無い。
おばあさんは黙ってしまった。たぶん理解ができなかったのだと思う。
すかさず僕が「この辺りでは、猫はあまり食べない。あれは手間がかかるから」と補足する。
さすがに引き下がるかと思ったのだが(十字を切って、悪態をつかれても仕方がない)、おばあさんも強かである。「でも、飼うこともできるわよ。病気も持ってない」と。
そこから、どういうわけか、折り畳み自転車の話になった。
そもそも僕達は自転車の整備をしていたのだ。
価格や重量について説明する。実際に折り畳んで見せたり、旅での活用例も話す。会話の途中で「じゃあ猫を…」とか、脈絡もなく言い出すので、それはきっちり断る。
近所の人かと思ったら、かなり遠くから来ているそうだ。自転車に乗って公園まで行き、そこからウォーキングがてら我が家の近くを“営業”する。
気の毒とは思えないけれど、不毛な話ではある。たぶん飼い主は見つからない。
こういう場合はどうしたら良いか、ということで、捨て猫に関するいくつかの連絡先(保健センターからボランティア団体まで)を教えた。スマートフォンは本当に便利だ。家の外の立ち話で完結できる。
次は別の地区を当たってみる、とのことだが、果たしてどうなるのだろうか。
とりあえず僕は猫を食べる機会を逸した。
食べたいとも思わないが、しかし万が一食べることになったら、おばあさんの娘夫婦を(なんとしても)探し出して、その事実を伝えようと思う。
「太って可愛くなくなってしまったあなた達の家族、アメリカンショートヘアのハーマイオニーは、美味しくいただきました。ごちそうさまでした」って。
写真までは送らないけれど。
つまり僕は、少し怒っているのである。