映画料金を無料にする方法

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

仕事の後に買物へ。ついでに映画でも観るかとシネコンに寄る。
結局、時間の関係で映画は諦めて帰宅することにしたのだが、その際に妙な家族連れを見かけた。

シネコンのあの、チケットを持っている人だけが入れるエリア(名前は何というのだろう)のところに立っているスタッフに文句を言っている大人が2人。金色の模様の入った黒いジャージの青年と、太った茶髪のおばさん。色違いのお揃いのジャージだったから、たぶん夫婦だろう。彼らの傍らには、ラベンダー色のディズニー的なランドセルを持った(やや太った)女の子。
彼らは「思っていたのと違うから、料金を返金しろ」と主張していた。
まあ、ガラの悪い家族ではある。
なんとなく「近年まれに見る極悪非道な一家とその周辺に巣食う悪い噂」とか、そんな感じで悲惨な事件の後にワイドショーで取り上げられる類のファミリー、そのマイルド版といった雰囲気。
声が大きく、主張はとてもよく聞き取れる。

  1. シン・ゴジラ』が話題というので、急遽来館した。
  2. 退屈なシーンばかりだったじゃないか。予告編やテレビ報道と違う。
  3. 子供だって連れてきたのに、まるで楽しめなかった。
  4. 通常料金は高すぎる。平日の夕方なのに!
  5. 話題性ばかりアピールして映画そのものがスカスカというのは視聴者(原文ママ)を馬鹿にしている。
  6. 思っていたのと違う。返金して欲しい。

概ね上記の通り。

僕は思うのだが、映画が「思っていたものと違う」という理由で返金可能ならば、どんなにか良いだろうか。僕の映画鑑賞コストは半減する。
だが、映画業界は壊滅するだろう。

書店にも同様の文句を言う人がいる、と聞いたことがあるが、僕は読書を終えたあとに「騙されたー(帯と表紙と書評に!)」と思うことは珍しくない。あれが返金されたら天国かもしれない。
ただし、出版業界は壊滅する。

美術館の企画展だって(略)壊滅する。

 

でも確実に存在する、こういう人達は。
普通の人が心の中で吐く悪態、例えば「金返せ!」を、行動にしてしまう人。しかも子供の前でも、皆が後ろで列を作っていても気にしない。夫婦なのだから片方が配慮したり別の方策を考えても良さそうなものなのに、たいてい協同するのだ。だからこその夫婦なのかもしれないが、その辺りは僕にはよくわからない。

生きづらくないのかな、とは思う。
だってこんな思考・行動原則に基づいて暮らしても、報われることなんて無いだろう。映画館が、「申し訳ありませんでした。『シン・ゴジラ』は小学校中学年の女児には向かないことを事前に告知していなかった当館の責任です。会議シーンの多さも謝ります。返金と、こちらは少ないですが誠意の証です」と言うことは、たぶん無い。

今の日本では、どちらかといえば平和な雰囲気のほうが尊ばれるし、何かトラブルの種があったとしても、怒鳴ってみたり、凄んでみて、それが望ましい方向に向かうことなんて少ないと思う。でも“悪手”をつい選んでしまう人達は一定数存在する。
フィクションの世界では、暴力や恫喝による問題解決は日常茶飯事ではある。例えば『ONE PIECE』なんて、道徳と鉄拳制裁がセットであり、迷わないことを賞賛し、自分と仲間こそ規範である。ヤンキー漫画でなくても、ヤンキー魂は育まれる。
そんな少年漫画的な単純明快世界観を大人になっても抱いているのは、ひとつの茨の道かもしれない。殉教者っぽさも少しある。
だからといって尊敬はできないのだけれど。

 

 

ところで静岡県中部で最も、あるいは唯一の文化的事業である『大道芸ワールドカップ』が今年も開催される。文化の日周辺が開催日。そろそろガイドブックが書店に並ぶ。
おすすめのイベントです。何なら案内します。ガイドブックは電子版もあるらしいので、興味のある人は是非。

www.shinanobook.com

 

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