買えるけど買わない

仕事帰りに立ち寄った農産物直売所で、松茸が売られていた。
別に買おうとも思わなかったし、今のところ売り場の景気付けなのだとろう、買っている人もいなかったようだ。

子供の頃に松茸を食べた記憶が無い。
貧しい家ではなかったと思う。両親は共働きで、2人とも大きな会社の管理職をしていたのだから、それなりの収入があった筈だ。ただ、日常で食に贅沢をする人達ではない。今は知らないが、昔はそういう人は珍しくなかったと思う。

当時は、例えば漫画でも、松茸というのは本当に高嶺の花扱いだったと記憶している。ギャグ漫画ならば、買った日の夕食だけでその回を進められるくらい。

中学生の頃だったか、従姉の引っ越した先に泊まりに行ったら、松茸が「余るほど採れるけど、出荷して儲かるシステムが構築されていない」という土地だった。その夕食の鍋で山ほど食べたのが、最初の記憶か。

大学生になって、自炊をするようになって、スーパーマーケットで見かけるようになった時は、その価格にちょっとがっかりした。
高すぎるのではなくて、「高いといっても、この程度か」という印象だった。もっと、手持ちの現金じゃとても足りないレベルの食材だと思っていた。高級ワインみたいな感じ。

だからといって、大学生が仕送りから松茸を買う訳ではなく、会食や宴会でたまに食べるもの、として今に至っている。
松茸は、よく言われているように、味そのものは大したことが無い。ただ、その料理は基本的に丁寧に作られていて、間違い無く美味しい。たぶん自分で(スーパーマーケットや農産物直売所で)買うことは無いだろう。両親も、たぶん買わない。

 

買える価格だが自分ではなかなか買わない、という品としては、個人的には「ハーゲンダッツのアイスクリーム」がある。稀に、例えばラムレーズン・アイスが食べたいといった“名指し”の買い方をするくらい。

でもあれだって、せいぜい数百円、コンビニエンスストアでいつでも買える。贅沢品といったら嘘になりそうだ。高価すぎて断念、なんて事はまず無い。

 

ハーゲンダッツといえば、このブログに面白いことが書いてあった。


どうしても挑発的に読まれてしまう内容であり、実際にコメント欄は的外れな反論に溢れている。が、この「雑にするほど慣れてる風」とか「ラフな服装で旅慣れた感と、ハーゲンダッツの自慢」には笑ってしまった。面白いし、この種の問題はこれから先にもっと騒がれると思うという点でも興味深い。
要は「文化」の話だ。
楽なほうがいいじゃん、から始まり、多くの「だって○○だよ」という反論ができる。ハーゲンダッツはともかく、なぜきちんとしなければならないのか、赤の他人の目を気にするべきなのか、という論を「でも自分はこれがいい」にぶつけなければならない。

でもなんとなく、やっぱりハーゲンダッツである。仕方がないじゃないか、田舎の市道沿いのコンビニで手に入る小さな幸せといったらハーゲンダッツしか無いのだから。気持ちがわかってしまうからこそ、飛行機で配られて誇る気持ちには、同意できないまでも可笑しみがわく。

ところで僕は(これまた個人的な感想として)、外食の場で、椅子に座りながら靴を脱ぐ人が苦手だ。楽かどうか、とは別の要素としての「不作法」があるのだとわかって欲しい。

 

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