あたりまえの言霊

近所の床屋さんでは、「軟水」をシャンプーのすすぎに使っている、とのこと。そういうポスターが貼ってあった。

この前行ったラーメン屋では、「旨いかどうかはあなたが決める!」と書いてあった。

先ほど開封したビタミン剤は、防腐剤不使用を謳っている。

 

特に断言せずとも、この辺りの水道水は軟水であり、ラーメン屋に限らず旨いかどうかは食べた側が決めるのが世の習いだ。およそ人間が経口摂取する物で、錠剤に加工した状態で防腐剤が要るような物質は無い(あれは究極の乾燥食品といえる)。

こういう、当たり前のことをわざわざ書くことで有り難みを増そうとする試みは、面白いような馬鹿にされているような、複雑な気持ちになってしまう。大抵、出来が悪いので、どちらかといえば不愉快なのだが。

そういえば、いつも通勤時に見かける高校生達、朝練の運動部員の背中には、ラーメン屋のポエムみたいな書体でポエムみたいなものが書かれている。「勝つために戦う。それが我ら○○高籠球部魂」とか。これも別に威張って宣言することでもないと思うのだが。

つまり、町内会や個人事業主や、それからもちろん愛すべき我が職場の人達がExcelとWordで作るバッドセンスな印刷物の、キャッチコピー版なのだと思う。コピーライターを目指す必要は無いだろうが、でも世に溢れるコピーの「最低限の水準」くらいは知ったうえで作って欲しいものだ(印刷物も同じ)。発信した言葉、特に文字情報として“外”に出たものが社会の一部、風景や環境を形作るのだから。

でもまあ、なんとなく聞き心地の良い言葉がある、という事実は否定できない。「ナチュラル」とか「オーガニック」は、その筆頭か。
かつてイブ・サンローランか誰かが言っていた。
「良いと思う対象は、せめて6階層くらいは掘り下げて“なぜ”を答えられるようにしなさい。それが無理でも、まずは自身の感動を疑う健全さを持ちなさい。でなければ、あなたの感激など他人には無価値なままです」


例えば、ナチュラル、エンザイム、ビオ、それからエコ、そういう言葉がなぜ「良い」のか考えずに使っている人は多いように思える。
なかには「世界は繋がっている」とか言い出して、自分なりの大統一理論を展開する人も(大抵、「酸化」が悪玉である)。あれは他人から見ると、大変に不誠実に見える。

 

当たり前のことを(技巧ではなく)高らかに宣言しちゃう宣伝は、そこまで不誠実とは思えない。が、拙い感じは否めないし、どこか教養を軽んじている雰囲気がある。詐欺の風味もする。

だからなんだ、という話ではある。特に結論は無い。ただの感想を書き連ねてしまった。軟水のシャンプーなら、さきほど自宅で実行した。髪が乾いたら、寝ます。おやすみなさい。

 

 

 

聞かせてよ、ファインマンさん (岩波現代文庫)

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美森まんじゃしろのサオリさん

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