いつまで経っても慣れないこと

いくら年齢を重ねても、上手く納得できない事がある。歳をとって気むずかしくなったとか、それなりに知識がついてきて受け入れられないというよりは、昔から折り合いをつけようとしても着地点が見つからないことが、いくつか存在する。

例えば、トイレや公共浴場の女性清掃員がそれだ。

先日の三重旅行では、友人の家に泊まる前に、温泉に行った。
湯ノ山温泉郷の麓にある「アクアイグニス」という、立派な日帰り浴場。人によっては隔意を抱いてしまうくらいにお洒落っぽくて(僕は大丈夫なほうだ)、なにかと頑張っている様子。僕は温泉に興味が無いけれど、ここはわりとよく利用する。

そのお風呂の脱衣所に、しばし女性のスタッフが出入りする。こまめに掃除をしてくれるので、床はからっとしているし、放置されたタオルなども無い。アメニティも常に整っている。風呂や洗い場の辺りでも、洗面器を片付けたり、残った泡を流している。有難いことだ。

だが、なぜ女性なのだ。
年配の、お婆さんといってもいい人達が多いが、これがなんとなく気になる。身も蓋もない表現をすると、「性欲とは無縁の人達」だから、こちらも羞恥心を抱く必要が無いということ、らしい。そう日本文化の本に書いてあった。
でも、男性スタッフが女風呂の脱衣所に出入りしていたら(それが老爺であっても)ちょっと問題になる気がする。普段、女風呂の脱衣所に出入りする機会が無いので、よくわからないのだけれど。

同様に、公衆トイレもまた、男性用の領域で女性スタッフが働いている。実は職場のトイレも、女性の掃除係が朝夕に清掃をしている。用を足そうと入ると掃除中のおばさんがいて、「大丈夫ですよー」と言ってくれるが、僕としては大丈夫ではない。

男女のエリア、ということでセクシャルな、あるいはジェンダーの話に持っていくのが正しいのかもしれない。ただ僕は、色々な説明を聞いた後でも、まだすとんと納得できていないのだ。

「要は、年配の女性には、“汚れ仕事”をさせてもかまわない風潮と、それを下支えする低賃金環境があるんじゃないのか」って思ってしまう。

だって、僕だったら「男しか入れない場所で働くか、女しか入れない場所で働くか選べ。わりとパーソナルな部分なんだけど」と言われて、それが風呂やトイレだったら、「男のほうにします」と言う。男性に欲望を抱くセクシャリティだったとしても、「じゃあ女性側にします」とは、簡単には決められない。自分自身のこと、そして見知らぬ多くの人から見た自分のこと、それらをまとめたら、ちょっと困ってしまう。

とりあえず「自分だったら」の事しか書いていない。
が、もし男女平等が建前でなかったら、こういう細かな部分は(当事者が気にしないと言っていても)修正しても罰は当たらないだろう。ある種の礼儀の問題として。
逆に「では女子トイレの清掃を男性にしましょう」でも平等といえば平等だが、まあ、まずは穏便なほうを選びたい。

 

 

こういう「女性の話」といえば、今の勤め先の慣習(?)もまた、よくわからない。
文房具などの汎用備品は、職場の「女の子」が管理することになっている事や、総務部は女性だけが制服(いわゆる事務員服)な事。ちなみにお客さんへのお茶は、女性が出すことになっている。
こういう風習は、普通の大企業では「とりあえず形だけでも廃止」となったと思っていたのだが。実情はどうあれ、形だけ、というのは大切なこと。だって、そうでもしなければ気付くことも思いつくこともしない鈍感な人間は多いのだから。
女の子として育てた女性を女の子として使う、それはずいぶん雑な接し方だと思う。特に仕事のうえでは。おっさんの僕ですら、そう考える。

 

 

あ、ふと思い出したけれど、「写メ」って言葉にも慣れません。今でも使う「昔の若者」がいますね。

 

美森まんじゃしろのサオリさん

美森まんじゃしろのサオリさん

 

 

 

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