映画『美術館を手玉にとった男』と、スリランカ料理店。



映画館で『美術館を手玉にとった男』を観てきた。
簡単に言うと「アメリカ国内の46の美術館に30年間にわたって贋作を無償で寄贈し続けた贋作画家マーク・ランディスの素顔に迫るドキュメンタリー」。贋作者の老人は精神を煩い、しかも寄贈ということで詐欺性は無いために罪には問われなかったことも大きな話題になった。

前半は、わりと小気味よく進んでいく。
ランディス氏は、ホームセンターで仕入れた板切れや額縁や、ありきたりの色鉛筆や水彩絵の具で模写じみた作品を作っていく。コーヒーで古びた風合いを出したりもする。
そして美術館に寄贈する。美術館は精査せずに、収蔵品に加えてしまう。
どの街にもいる「ちょっと気の毒な感じの、変な創作おじいさん」みたいなしょぼくれたランディス氏と、全米の立派な美術館との対比が面白い。
彼自身の手技は、サヴァン的な神業には程遠い。ただ、彼の振るまいと、美術館の性質が上手く噛み合ってしまったが故の、数十年におよぶ“事件”なのだと思う。
彼自身の作品は稚拙な模倣であっても、その行動そのものが一種のアウトサイダーアートになっている、とさえ思えてくる。

これが後半、彼の贋作作りの動機にスポットが当たるにつれ、なにやら妙な雲行きとなっていく。本人もその動機を、しっかりわかっていないのだ。自らの作るものは、アートではなく図画工作だと言い、身分を偽った寄贈は慈善活動だと言い出す。語られる言葉は、TVドラマの名作からの引用や、映画の名台詞。
彼の贋作に気付いてウォッチャーとなった美術館のキュレーターや記者が問うても、考えても、何のためのライフワーク(?)なのか判然としない。もちろん映画を観る僕にもわからない。
繰り返し語られる(数年前に亡くなったという)母親の影は感じる。
でもわからないのだ。その困惑は、全てが明らかになったあと、贋作を集めて開かれた展覧会で明確になる。誰もが「自分の作品を作るといい」と薦める。彼だってそうしたいのかもしれない。でも彼は、何も変わらない。

この映画、英語のタイトルは「ART and CRAFT」という。
内容的には、こちらのほうがしっくりくる。

このしょぼくれたランディス氏、ウォルマートみたいな大型スーパーで冷凍食品を買い込み、食事も贋作作りもベッドで済ませてしまうような雑な老人が、でも僕はなんだかすっかり好きになってしまった。
そういう暖かい心持ちになった人は多いと考えている。その事が、このランディス氏に何かの形で伝わればいいな、とさえ思っている。実際、偽の情報付きで贋作を贈ることは(経済犯罪の詐欺ではないにせよ)大きな悪事だとは思うが、それでも。

 

余談だが、現代アートに興味を持つ人は、作品とその価値について考えることも多いと思われる。そういう人には、また少し違った視点で楽しめるのではないか。
コンパクトですっきりしたつくりの、良い作品でした。

 

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

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昼食は静岡の「ダハミ」というスリランカ料理の店で。
古くて狭い飲食店に居抜きで入り改装した、という感じの本当に小さなお店。2人のシェフが楽しそうに働いている。
スリランカとインドの料理が楽しめる。
今日はほうれん草のカレーに、チーズナン、それにコロッケみたいな料理とサラダと紅茶のセットを食べた。
へえこれがスリランカ料理なのか、と感心して食べたのだが、レジでお金を払う段になって「今日のカレーはインド料理のほうです。スリランカではどろっとしたカレーは無いです」と教えてもらって、ちょっと膝の力が抜けてしまったような脱力感が。
でも辛いながらもさわやかな、美味しいカレーだった。巨大でこってりしたチーズナンとの組み合わせが面白かった。
次はぜひ、スリランカのカレーを食べてみたい。
そういえば、食後の紅茶が抜群に美味しかった。さすが産地。

 

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