「火星の人」改め「オデッセイ」



最近、また「火星の人」を読み直している。
寝る前に軽く読むにはとても便利な小説。どこで止めても良い。

 

火星の人

火星の人

 

もうすぐ映画も公開される。映画版は「オデッセイ」という。
たぶん大ヒットするだろう。僕も楽しみにしている。

 

この小説の主人公は、基本的に悩まない。深く悩まず、深く考える。
これが僕には好ましい。
なにしろ宇宙飛行士なのだから危機にあってもそういう精神であることを訓練されているし、それを下支えする知識も蓄えている。だから当たり前といえばその通り。
しかし実生活において、周囲を見回してみると、そういう人ばかりではない。これがNASAと静岡県中部の違いだ。

 

かなり乱暴な書き方になるが、最近はこう考えている。

「自分は馬鹿だから」を言い訳に使えると考えている人は、深く悩みはするけれど、深く考えることができない。

 

甘え、とかそういう話ではなくて、ヤンキーっぽさの話や、以前どこかで書いた、教養の話のほうが近い。

誰だって危機に陥れば悩む。それは「火星の人」のワトニー君だって同じ。ただ、それだけでなく、悩んだ後に深く考えられる人と、そうでない人がいて、間にはくっきりと溝があるのだ。
「自分にはそうは考えられない」といって思考停止することに平気だが、でも悩み続ける人と、とりあえず悩みはひとつの精神状態として抱えつつも、ひたすら考察を続ける人、僕は後者のほうが人間的な深みがある、とすら思える。少なくとも日常生活でやりとりする相手としては、悩んでばかりの人のほうが、”浅い”気がしてしまう。もちろん、気の毒さ、とは別の話であることは言うまでもない。

こういう傾向を、悪い意味での教養主義というらしい。
以前、遠い昔に、ブログのコメントでそういう意見をいただいた。そうなのか知らなかった、としか言いようがない。なんとなく「理系の人間は悩みがなくていいですね」と言われているような文面だったが、もちろん深く考える人だって悩む。悩みの穴を掘り進めた先に到達できる何かがある、ということも僕は知っている。しかし日々を生き抜くためには、僕だったら悩むだけでなく、考えたいし、そのための精神的資産として知識や技術は身につけていきたいと考えている。

 

ともあれ良い小説である。
主人公はとにかく災難続き(サバイバルもの、だから仕方が無い)。でもその災難は全て、必然の繋がりなのだ。あとがきに書かれているように「偶然に隕石が落ちてくるようなトラブルは無い」小説だ。その代わり、奇跡もまた無い。
このクールな感じこそ、「宇宙飛行士もの」の真骨頂だろう。宇宙は冷酷、その中でこそ輝く人の知。
今日も読んでから寝る。

 

 しかしこの「新版」とはどういうものなのか。
書店で確かにこのマット・デイモンさんの表紙は見た。でも映画化に対応したカバー換えだと判断し、ろくにチェックしなかった。上下巻に分かれているのだ、きっと何かあるに違いない。

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

 
火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

 

 

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