ディスクトップとパーテーション

 

 


今の時代に会社員でいる人達、というのは、それが年配の人であっても、そんなに「外来語に疎い」訳では無いと思う。カタカナ言葉は増え続けているにしても、仕事で使う言葉は、僕達の世代と2倍や3倍も違うとは思えない。僕がもっと若い人達の言葉に「完全についていけない」という事が無いように、時代としては連続していて、しかも最大で20年も離れていないのだから。


でも今の勤め先では、もう当たり前のように「ディスクトップ」とか「パーテーション」とか、そういう間違いをする人が数人いる。
これもまた、職場の文化なのだと思う。間違いを指摘しない、少なくともカタカナ言葉についてはそれをしないという風土があるような気がする。身内で通じればいいや、という感じなのだろう。
しかし一応は、我々10人くらいのネットワーク環境を取り仕切る人が「インターネットエキスプローラー」なんて書いていると、なんだか不安になってしまう。

ちなみに、現在僕がこのブログを書くのに使っている日本語変換ソフトウェアである「ATOK」では、この種の間違いは、かなり厳しく指摘してくる。だから今日は、文章をとても書きづらい。
確か、ネットワーク環境責任者であるおっさんも、ATOKをインストールしていたはずだが、そういう「システム側からの指摘」は、どのように対応しているのだろうか。
まあ、おそらくは「カタカナ変換のファンクションキー」で逐一の変換をしているから、特に辞書や変換候補との衝突は起きないのだろうが。

 

ところでこの職場、ちょっと異常なくらいに「半角カナ」が一般的である。これ、パソコン導入の初期段階で、その頃はまだ共用が当たり前だったパソコンのキーボードの「半角カナ変換をするファンクションキー」に、「カタカナ変換はここを押す」みたいなシールが貼られたことが、全ての始まりだったという、嘘のような話を聞いている。
「そうか、外との関わりがほとんど無い会社というのは恐ろしいものだな」とその時は思ったし、今も半角カナで「コンパネのホルダー」などとメールに書かれていると(ちなみに『コントロールパネル』の『フォルダー』の意味だ)、やはり恐ろしいと思う。カナ変換そのものではなく、その閉鎖性が怖い。
だって普通は気づくと思うのだ、それらがいかに妙なことなのか、どこかしらで、日常生活で。少なくとも雑誌や新聞や、プロの書いたブログ記事では、そんな表現はどこにも見当たらない。
ものすごい田舎に行くと、コンビニみたいな店であっても、方言や独自の言い回しをそのままに話しかけてくる老人達がいる。彼らは他者への配慮が薄いというか、どうにかして意思の疎通をしようと工夫はしない。あれは旅としては面白いが、しかし歓迎されていないというか、ここには住めないな、とは思う。
大げさに言うと、今の職場の「言葉のぞんざいさ」は、それと地続きのものだと考えている。

 

 

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