先ほど帰宅した。
隣の田んぼで、蛙がぐわぐわと鳴いている。
昨日までは鳴いていただろうか。全く覚えていない。何事にも始まりはあるのだから、今日がそうであってもおかしくはないが、でも昨日も今日も環境的にはそれほど違いが無いはずなのだ。
ところで今日は、仕事が楽だった。
たまたま計画的に作業量が少ない日だったこともある。それに加えて、先週までの激務続きと、僕の昨日からの(わずかな)体調不良が重なり、自分とその周囲で「今日は無理をしない日にしよう」という空気が醸成されたのだ。
これは寿ぐべきことである。微熱も、たまには良いものだ。
幸い、体調は徐々に回復している。というか、ほとんど健康体となっている。だからといって「もう大丈夫です!がんばっちゃいましょう皆さん!」とは言わない。もはや今日は楽をする日と決めたのだから、その想いは大切にしたい。
こういう時に自分から「はぁあ微熱!はぁあダルい!」と言ってはならない。「大丈夫?」と聞かれた時に「…大丈夫です。ありがとうございます」と返答するくらいが、丁度いい。最初のわずかな沈黙と、伏せた目がポイント。
これもまた誠意の形。皆が幸せになれるような振る舞いが、今日は求められていた。陳腐であり、会社に対しては多少の背信行為であることは確かだが、しかしまあこれくらいは許してもわらないと身体が持たない。
とはいえ、今日も眠い。
先ほど友人の子供(5歳)から元気いっぱいの電話がかかってきた(おじちゃん!白玉だんごって作れる?作れるの?やっぱりね。一緒に作ろう!明日の朝に、幼稚園に来てね!)。彼女よりも僕のほうが眠そうなのは、どういうことか。これが老いというものか。
白玉だんごは作れるけれど、明日も仕事であり、幼稚園には行けない。だから寝る。
ところで白玉だんごの袋を持って、朝の幼稚園に行ったらどうなるだろう。サスマタで滅多刺しにされそうな気がする。大人の世界は世知辛いのだ。