先日から、職場の若い人達の間では「アルフォート祭」が開催されている。休憩時間に「アルフォート」を食べるのが、女性スタッフの間でブームになっているのだ。
僕は「アルフォート」に対しては特段の関心は無い。あれば食べるが、自分で購入するほどの熱情を持ちあわせていない。
でも心優しい同僚たちは、僕にもこの「アルフォート」を薦めてくれる。お茶だけで過ごす僕を、寂しい人間だと哀れんでくれているのだ。
ありがたく戴き、返礼として「雪塩ちんすこう」を渡す。
「アルフォート」の食べ方にも、個々人の流儀があるらしい。
同僚のひとりは「アルフォートはチョコレート部分が美味しい」と言って、チョコレートだけ剥がして食べる。これは一種の病ではないかと僕などは思う。アンパンの餡だけ食べるようなものだ。現代落語に出てきそうな食べ方、とも思う。
しかし彼女は(いくぶん極端なところはあるにせよ)善人である。残った“台座”を、僕に譲ってくれる。
このクッキーが主成分の“台座”は、それはそれで美味しい。チョコレートがあれば、さらに美味しいとは思うけれど、もちろん言葉には出さない。
遠慮のない人は「そんな下半分だけなんて食べないよ」と言って断る。
そして、いつの間にか、僕は「アルフォートの“台座”が好きな人」と認定され、休憩時間のたびに台座が用意されている状況となった。日々増え続ける「アルフォートの空き箱」の1つが、“台座入れ”として活用されるようになり、残業をすると、机の上にこれが置いてある。今日は「胚芽」と書かれた付箋が貼られていた(怖い)。
試しに「栄養のバランスを考えて、チョコレートとクッキーは一緒に食べたほうがいい」と忠告してみたところ「なるほど理系!やっぱり自炊男子って、そういうの気にしますよねー」と、感心されてしまった。
次は「このチョコレート・クッキー様式にも、職人さんの手間暇こだわりがあるのだから、好きな部位だけ選ぶような真似はレディとして大人女子としてどうかと思う」と、年長者らしく言ってみるつもり。
わりと精一杯ボケても、笑わずに感心されてしまう、それがこの年若き同僚とのやりとりにおける悩みである。あるいは加齢による衰え、痴呆の前段階だと見做されるのだから、歳はとりたくないものだ。「剽軽なおっさん」への道は遠い。