早生まれ遅生まれ

少し前に書いた「困った新人」が、今日もミスをした。
いやミスはかまわない。間違えて覚える、そういう期間なのだと認識している。それに、挽回できない仕事は任せていない。

しかし言い訳がよくない。
「でも自分、早生まれっすから」
よくない、というか意味不明。
それで納得する人は、少ないと思う。20代後半の社会人に、早生まれも遅生まれもあるものか。
でも僕も彼の意味不明には慣れていて、怒りもしないし呆れもしない。そもそも人前で怒る事が、ほとんどない。
ただ今日は「早生まれっ…」と言った辺りで「それは関係無いよね。もう一度確かめてみよう」と、かなり冷たい口調で言葉をかぶせてしまった。
今も少し、嫌な感じが残る。「あの対応、感じ悪かったな」と、反省している。サルを相手にしているのではないのだから、悪い印象を道具として“教育”するのは、下策だと思うのだ。暴力よりも言葉、感情よりも理屈を、特に仕事の場では大切にしていきたい。

まあ僕にだってそういう(つい口から言葉が漏れる)ことも、稀にある。
今日は自分でひやっとしただけだが、その気になればカミソリのように鋭く切り込むことだってできるはず。3年くらい前に、その切れ味を披露した記憶があるから、たぶん今でも使えるだろう。ペンは剣よりも強し、そして研いだペンは経静脈を貫くのだ。

ともあれ、彼が特にそれを気にしているわけではない、感情を害した訳ではないようなので、良かった。なぜなら、その5分後くらいにも「早生まれ」を言い訳にしていたから。おそらく、彼の中のトレンドワードが、「早生まれ」だったのだと思う。

 

実のところ、「早生まれ」と「遅生まれ」の違いが、ぱっと頭に浮かばない。どちらかが損で不利で大変、という事は、すぐに想像できる。友人の子供にも「早生まれ」がいる。
「年度」を尺度にして「早い・遅い」ではなくて、その年のうち早いほう(1月1日から4月1日まで)に生まれた人達が、それ以外の人達よりも幼い段階で就学や入園をする、だから大変、という文脈で使われるのだと認識している。
知識としては知っている。でもそれを考え、イメージするのに、一呼吸の半分くらいは時間がかかってしまう。ハードディスクからメモリに展開し、処理するくらいの感覚。
僕は「右と左」も、この「ほんの少し思考が必要な認識」に近い。「箸を持つ手」、あるいは「お茶碗の手」をイメージする時間が必要。「右折・左折」も苦手。「向かって右」といった言い方も、たまに混乱する。ネジを緩める方向はわかるが、口で説明するのは苦手。

そういう物事ってあるよね、と同僚に言ったところ「ごく軽いドン引き」をされてしまった。「私には全く無いです」とのこと。いやきっとあるはずだ誰もが精神に瑕疵を持って生きているはずだ、と僕は考えるのだが、でも本人が無いというのなら、その通りなのだろう。追求するのも野暮だ。
ただこの件、同僚からは「katoさんの老化現象(LEVEL2カテゴリB強度1+)」だと思われていそうで、それはちょっと不本意なのだけれど。

 

 

神の左手悪魔の右手 (1) (小学館文庫)

神の左手悪魔の右手 (1) (小学館文庫)

 

 

 

 

t_ka:diaryは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。