映画『ゴーン・ガール』を観た。



半年以上前に予告編を見て、なんとなく気になっていた映画『ゴーンガール』を観てきた。
気になってはいたが、特に予備知識は無く、いつの間にか「ラン・ローラ・ラン」的な映画だと思い込んでいたのは、なぜだろう。たぶん「ガール」という単語からの連想だろうが、それにしても的外れだった。「デビット・フィンチャー監督作品」というのは、先ほど知った。

その「ゴーン・ガール」、とても面白い映画だった。
よくできたサスペンス映画。
いわゆる毒婦または悪女と言われそうなヒロインと、彼女に翻弄される主人公という、典型的な完全犯罪サスペンスなのだが、愛情と夫婦、世間と身内、嘘と真実といった色々な要素が入れ子構造になっている。さらに、予想外のトラブル(突飛だが、いかにもありそうな現代アメリカ的なトラブル)で、物語は二転三転する。
果たしてヒロインはサイコパスなのか、それとも用意周到な努力家なのか、だんだんよくわからなくなってくる。単なる「女は怖い」とか「結婚生活やばい」みたいな話にはならない、幸せを追求する現代のアメリカ人の至る、1つの形を示した映画なのだと、僕は感じた。

完全犯罪としてはいくつかの“穴”があるまま物語は終わる。穴だらけで、でも1つの閉じたリングが完成し、登場人物の何人かは心に傷と屈託を抱えたまま、しかしどうすることもできず、そのリングを維持していく役割を背負わされる。もちろんクライム・サスペンスだから、殺された気の毒な人もいる。
あの夫婦は、これからどうやって生きていくのか。破綻するのか、駄目になるのならどんな形で、何を巻き込むのか、もやもやと考えてしまう。

見栄を張ったり本音を伝えたり、理想を追求したり妥協したり、そんな当たり前が時に“怪物”を産んでしまう。そうなると誰もが“怪物”といえるし、それこそが冒頭から最後まで延々と続く不穏な雰囲気の正体なのかもしれない、と今は思う。

全く逆の印象として、これは愛と結婚生活を描いた、甘い寓話にも見えてしまう。見えてしまうけれど、上手く書けないので、この件はこれでおしまい。

 

家で観ると魅力半減なタイプの映画だと、僕は思う。緊張感が途切れたら勿体無い。ちょっと長めの作品で、深みのある暗い画面も綺麗なので、映画館で観ることができて良かった。
ストーリーや仕掛けには特に難解なところは無かったし、目を背けたくなるような場面も(R-15にしては)少なく、サスペンス映画が好きな人なら、とりあえず見ておいて損はないと思う。あまり詳しくないから断言できないけれど、ここ10年、あるいは5年間を代表する「アメリカン・サスペンス映画」ではないかと考えている。
特に夫婦で、あるいはカップルで鑑賞し、感想を語り合うのにぴったりな作品。これは想像だが、一人で気楽に暮らしている人間とは別の凄みを感じるだろう。

 

 

 

ところで、今日のおやつは、焼津市の「葉山珈琲」にて手軽に済ませた。
成人の日だから混雑しているのは理解したい。
しかしそれにしても、色々と雑で、せわしない接客だった。店員それぞれの作業量の問題というよりも、仕組みが上手く働いていない類の忙しさが伝わってくる。それは店員の動きから、カウンターの内側の乱雑具合まで、様々な形で目に見えてしまう。

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注文したケーキとコーヒーは、こんな感じのトレイに乗っていた。

この深さとサイズのトレイに、こういう風にケーキの皿とコーヒーカップを置かれても困る。ケーキは遠いし、皿を動かすには両手を使わなければならない。もう少し、ほんの少しでいいから、客の立場で考えてくれたら、こんなミスは犯さないだろう。
味に関しては、特に言うべきこともない。不味くはなかったが、良い印象も持たなかった(コーヒーは温度が低すぎる気がしたが)。
そんなわけで、読むつもりだった本もほとんど進まず、あまり長居しないで店を出てきた。

いくつかやり残したこともあるけれど、これで連休はおしまい。
とりあえず早く寝る。あっという間に金曜日になってくれればいいのだが、たぶん水曜日あたりに、週末気分になるだろう。でもまあ、がんばる。

 

 

 

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

 
ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

 
冥闇 (小学館文庫)

冥闇 (小学館文庫)

 

 

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