シェアさせていただきます

上司の上司の、そのまた上司くらいの人が、メールマガジン的に、毎日メールを送ってくる。管理職としての“マインドの共有”が目的らしい。僕はいちおう読んでいるが、ほとんどの人はそのまま削除しているようだ。メールソフトの振り分け設定で、自動的にゴミ箱行きにしている人までいる。
内容はまあ、エッセイのようなコラムのような、日々の雑感から始まって意識の高い職場作りで締めくくるような、有り難くもつまらない素人文章である。面白くは無いけれど、続けていることは偉いと思う(管理職向けのスピーチ集、のようなタネ本があるらしいが)。

 

今日は「昨今、インターネットで流行している“シェアさせていただきます”という一言。実に奥ゆかしく、殺風景でドライで無礼なネット社会における、まさに日本発の誇るべき文化であり云々」という話だった。勤務時間中は、何事も学ぶ姿勢で挑み、「いいね」と思ったら組織の枠を超えてシェアすべき、と主張は続く。
今後は、上司にも同僚にも、それからトイレ掃除の業者さんに対しても、この“シェアさせていただきます”という心持ちで接するべきであり、もちろんその際には元気よく「シェアさせてください!」と発声するのが、特に若手社員(目に力が無く、覇気に欠け、ONE FOR ALLの精神を失った可哀想な若者達)には求められる、との事だった。

冗談じゃない、と思う。メールの末尾には「異論反論、大歓迎です」と書かれているが、もちろん返信はしない(まだ試用期間なので)。
なんとなくトイレ掃除の業者さんに対する隠れた差別心も感じるが、それはそれとして。

シェアする機能が実装され、その際にメッセージを求められないのであれば、何も書かなくても全然構わないと、僕は思う。書くのならば、“シェアさせていただいた事に対する感謝”よりも、どの部分に共感し、情報を拡散しようと思ったのか、それを伝えるべきだ。それがコミュニケーションというものだと思う。そもそも、シェアは「させていただく」性質の行動では無い。

何を書こうが個々人の勝手だとは思う。でも有り体に言えば、あんまりクールだとは思えない。もっと言うと、虚礼に当たると思うのだ。形式を定め、それを相手に求めるようになった時点で、マナーはその本質の一部を失う。それが定型文なら、なおさらの事だ。

 

ところで、特にFacebook界隈で散見される「シェアさせていただきます」だが、あれは「駄目です」と答えたらシェアを取り下げるのだろうか。みんな、「シェア」した後に宣言しているように見えるのだが。そういえば昨日、Twitterで「勝手にリツイートしないで下さいね。常識ですよ」みたいな事を知らない人から言われたけれど、あれもちょっと、気持ちが悪かった。

 

 

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