エージレスと柄杓と。

 

(エージレス) S-100 速効タイプ脱酸素剤 (100個×2袋)


母がボランティア・スタッフとして通っている老人介護施設から、「脱酸素剤は捨てずに取っておいてください。後日、回収します」というチラシが届いた。あれを集めて、何に役立てるのだろう?
なんとなくベルマーク運動とかプルタブ回収のような雰囲気が、文面からは感じられる。ベルマークはともかく、プルタブに関してはインチキというか、「プルタブに特別な資源的価値は無い」ことが一般的になってきたと思うのだが、でもやっぱり続けている団体は多いように思える。
たぶん、実利よりも、小さく継続できる「封筒サイズの親切」が、お年寄りには求められていて、そのニーズに合致した形での「回収運動」なのでは、と想像する。

 

 

 

お年寄りといえば、こんな話がある。
わが家の裏手にある神社では、数年間にわたって柄杓が盗まれていた。手水舎には柄杓が必要不可欠なため(僕は不衛生だと思うが、それはまた別の話)、消えるたびに補充していったそうだ。補充と盗難が、延々と続いていた。
今年の春、同じ町内に住む老婆が亡くなった。身寄りのない一人暮らしだったために、後片付けを近所の人達で行った際に、押入れや倉庫から大量の柄杓が発見された。どうやら、この老婆が盗んでいたらしい。頭もはっきりした、落ち着いた感じの普通の老人だったという。

回収された柄杓は、ずらりと手水舎に設置された。捨てる訳にもいかないし、奉納した人達に返すのも変だ。「欲しいかたはご自由にお持ち帰り下さい」という訳にもいかない。
小さな稲荷社だが、柄杓の密度だけいえば伊勢神宮熱田神宮と遜色ない。手と口を濯ぐ施設というよりも、例えば「柄杓供養舎」のほうがしっくりくる。
この前、散歩をした時も、依然として柄杓がたくさん並んでいた。なかなかに面白い光景であるが、加えて「あの老婆は、何を考えて柄杓をコレクションしたのか」と考えさせられてしまう、そんな雰囲気がある。あの老婆、といっても会ったことも無い他人なのだけれど、なんとなく印象に残っている。

最近、老人といえば父よりも母よりも、もうずいぶん昔に死んだ祖父母達よりも、柄杓コレクターだった見知らぬ老婆のことが頭に浮かぶ。本当に、何を思って柄杓なんて集めたのだろう。

 

月を盗んだ男 (NASA史上最大の盗難事件)

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