アンケートと署名

 先ほど、よくわからない来客があった。
 近所の人だろうか、老人といっていい見た目の女性と、40代くらいの女性の2人組。はじめは町内会の関係者だと思ったが、違うようだ。こういう時に限って、両親はいない。
 教育関係の勉強会をしていて、その一環でアンケートをしているという。
 テーマは「道徳と信仰」。いや、確か始めは「信仰」とは言っていなかった気がするけれど、要は学校教育で宗教心を養おう、という話だった。

 アンケートは口頭で行われた。例えば「先日、子供が子供を殺すという痛ましい事件がありました。家族でそのことについて話し合いましたか?」といった質問に、「はい」か「いいえ」で応える。中年女性が質問し、老人がメモをする。
 そのうち、質問というよりも、意見表明みたいになってくる。「公教育あるいはそれに変わる児童の育成で公徳心を養うに当たり、“大いなる存在”の素晴らしさを伝える必要があるのは自明であるが、その際は専任のスタッフをおくべきであるか?」とか、ちょっと怖い話になってくる。

 その辺りで、質問は中止してもらった。「申し訳ないが、神様の問題は興味が無いし、そういう話には付き合えない」という意味の事を伝える。
 すんなり「そうですか」と引き下がってくれた。しかし「形だけ、こことここに署名を下さい。ご家族がいるのなら全員分を」と言う。何の署名なのかよく見ると、「道徳を学ぶために宗教を教育に取り入れよう」という運動への賛同を示すもの。冗談じゃない、と断る。パンフレットも断った(ここでようやく、シュタイナー教育系の人達だと判明した)。
 「じゃあ、また」と、拍子抜けするくらいにすんなり帰っていった。「また来たら嫌だなあ」と思うし、玄関は暑かった。何より僕は彼女達のような考え方が苦手なのだ。

 

 まず第一に、公徳心ということなら、最近の子供達は(宗教が身近にあった過去に比べて)ずいぶん良くなっている。少年犯罪は減ったし、概ね、ルールだって守る。たまに酷い事件はあるけれど、それが果たして教育の欠陥によるものなのかは、断定が難しいだろう。

 第二に、と続けていくと話が長くなるから書かない。
 長々とは書かないけれど、彼女達が変な事を言っている点が1つある。「偉大な神様が実在するなら、悲惨な事件もまた神の御心ではないか」ということ。何よりも偉大な存在を想定しておいて、では残酷で嫌な物事を人の活動(例えば教育)で回避できてしまうと考えるのは矛盾だと思う。
 その辺り、悩まないのだろうか。僕は神様を信じていないから、悩まない。
 僕だってたまには色々な事象に神秘性を感じる事はあるかもしれない。でもとりあえず、神様を称えるふりをして、でも実際は神様に責任を押し付けるような思想には染まりたくないと思う。

 

 それにしても、どうしてお湯を沸かすと来客(招かれざる客)が来るのだろう。特に夏の夕方、素麺の準備をしていると来る。友人にぼやいたら、「夕食に素麺なんて食べるなよ」と笑われてしまった。そういう問題では無いと思うのだが。

 

科学と神秘のあいだ(双書Zero)

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