SとM

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ちょっとしたきっかけで、マクドナルドのフライドポテトを無性に食べたくなった。珍しいことなので、欲望に従い、暇な時間に食べに行く。

コーヒーのSサイズと、ポテトのMサイズを注文。席で出来上がりを待つ。
しばらくしたら、コーヒーとポテトが運ばれてきた。「コーヒーはSサイズのカップが無いので、Mサイズです」と言う。珍しい事態。
ポテトを食べながら、コーヒーの蓋を開けてみる。きちんとMサイズぶん、というか、かなりなみなみと入っている。
ずいぶん昔に似たような状況になって、その時はMサイズの容器にSサイズ程度しか入っていなかった。それで当然であり、かつ誰も間違っていないのに、なんとなく残念な気分になったのは確かだ。
それに比べれば、今日の“増量”は、日本マクドナルド社がコーヒー数十ミリリットル分の損をしただけで、店員さんも気まずい思いをしなくて幸せ、もちろん僕も幸せという素晴らしい状況となったので、誰の判断かはわからないが英断だったといえる。

 

SとMといえば、数年前に、何かあると「Sだ」「Mだ」と騒ぐ人達がいて、あれはとても馬鹿馬鹿しいものだと思った記憶がある。初めは性的嗜好を問われているのだと思って少し驚いた。おそらくTV番組の影響だろう。
個人的には、血液型性格分類と同じくらいに忌み嫌っていた(顔には出さなかったけれど)。
ああいうことを言う人というのは、現在は何を拠り所にして会話を進めているのだろうか。少なくともかつての「Sタイプ?Mタイプ?」と繰り返していたことを恥じてはいないだろうし、もっと昔は動物占いをしていたのだと思う。そんな風に勝手に類型化してしまう自分も、人間ができているとは言いがたい。とはいえ、すぐに根拠の無いパターン分けをする人達は、いつか笑いながら「肌の色性格分類」を始めるのではないかと思う時がある。

 

先ほどまで、友人の姪っ子に会っていた。読み終えた本を譲り、世間話をした。1つ質問を受けた。「水が0℃で凍るのは何故か?」というもの。大きく分けて答を2つ思いついた。1つは考えれば中学生でもわかるものであり(おそらく習っているのではないか)、もう1つは話すと長くなる。だからあえて答えない。
この「わかっているけれど、教育的効果を考えて、あえて回答しない」という態度が、彼女にはかちんと来たようだった。「親みたいだ」みたいなことを言われた。
まあ、その気分はわかる。そして僕は、多少の不機嫌は全く気にしない。この辺り、我ながら老成しているというか、おっさん化していると思う。親心とはちょっと違う、とも思う。

 

 

創刊号から延々と買い続けていた「クウネル」を、今月号は買わないことにした。他に読む本はたくさんあるし、かつての面白さは薄れた気もするし、惰性で何かを買い続けることは色々な理由で良くない気がするので。今後は表紙と目次を見て、必要に応じて購入する。しかし新聞であれ雑誌であれ、「必要に応じて」と選んでいくと、どうしても情報の幅が狭まる。それは良くない。だから次の「惰性で買う雑誌」を探すつもり。

ku:nel (クウネル) 2014年 03月号 [雑誌]

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