ごく短時間の子守について。


 
しろくまちゃんのほっとけーき (こぐまちゃんえほん)
それほど頻繁ではないが、暇な時に友人の子供を預かる事がある。
友人達は驚くほど立派に子育てをしている。これがあの(現在の僕と変わらない)遊び呆けていた人達なのかと、いつも感心する。
しかしもちろん、そう簡単では無い。試行錯誤と疲労は、何かしらの歪みを貯めこんでいき、いずれ形を伴い噴出する。
様々なレイヤーと強度で、歪みは開放しなければならない。自然治癒を待つのも手だが、悪いほうへフィードバックのサイクルが出来上がったら大変な事になる。
例えば母方の実家は、多くの場合に力になるだろう。公から民間まで、手助けをする組織もある。でもそれだけでは足りない場合は、思い切って友人知人に相談してみると、何かしらの進展が期待できる。
子育ての経験の無い僕でも、ある種のアウトサイダーとしての意見は言えるし、実のところ「子供を半日預かる」程度の手助けも出来る。今日もそういう1日だった。


先日の夜に「大掃除をしたい」と友人夫婦が言っていた。仕事と家事と子育ての配分に、お互いが異議を持っているような雰囲気の会話。ぎすぎすしている。
それでは、と提案してみる。「朝から夕方まで子供を預かろう、その間に大掃除と模様替えと、映画鑑賞とクラフトフェア(静岡護国神社で開催)見物を済ませて気分転換をすれば少しはマシになる」と伝える。
彼らの娘は、何度かこんな風に預かった事がある。顔と名前も覚えてくれているようだし、4歳6ヶ月なら僕の姪と似た感じだろう。最悪の場合の連絡先と行動基準さえあれば、半日なら大丈夫。
「何それ面白そう」と、同じく独身男性の友人も、午前中だけ手伝ってくれる事になった。全てはインターネット上で話が進んだ(便利)。



そして朝、巨大なトートバッグと共に、娘さんを預かる。「ばいばい」と、わりと素っ気なくお別れをする。そして我が家に向かう。
上手い具合に、両親は孫の運動会に行っていた。居ればそれなりに心強いが、何かと説明が面倒ではある。
そしてトートバッグに詰められていた玩具で遊ぶ。絵本も入っている。月に何度か甥や姪が遊びに来るので、ひと通りの玩具は我が家にも揃っている。
特技という程では無いが、僕はアンパンマンムーミンドラえもん機関車トーマスが描ける。「プリキュア描いて」と言われると困る。プリキュア系の、目の大きい女の子は描けない。
遊んでいるうちに、友人が到着する。僕と友人はコーヒーを飲み無駄話をして、隣では4歳児が黙々と遊ぶ。



昼食は「たこ焼き風ホットケーキ」にした。買ったばかりのホットプレートは、プレートを換装してたこ焼き器になる。こういう機会でもないと使わない。
生地はホットケーキミックスに人参のすり下ろしを加えたもの。他人の娘だから、身体に良い工夫をしてみた。それに彼女は、人参が大好きなのだ。
中心にチーズやソーセージを入れて丸く焼く。さらに人参を要求されたので、人参のグラッセを追加で作り、入れた。
賑やかで面白い昼食だった。
しかしたこ焼きプレートは「6✕7」の穴があり、つまり3人でだらだら食べていると、1巡目で満腹になってしまう。妙な物足りなさを、3人で共有する。
そこで「パパとママにお土産」と、2巡目は持ち帰り用に作る。
そのうち「普通のタコ焼きが食べたいな」と言い出した。創作ホットケーキと違い、タコ焼きは「家にある有り合わせのもの」では作れない。そもそもタコが無い。




友人を送りがてら、駅前の商業ビルに行く。それほど広くなくて、雑貨屋や書店があるから時間を潰すのに良い。
そして3階には市立図書館がある。本を返却して、それから「ちびっ子読み聞かせ」という、まさに僕の為にあるようなイベントに参加する。
でもこれば残念ながら、結果的に、今日いちばん疲労したイベントだった。
図書館の片隅にマットが広げられている。そこに行って座れば、あとはボランティアスタッフが絵本を読んでくれる。
まず座るのに抵抗がある。周りはママがたくさん、そしてパパ、もちろん幼児がたくさん。すごく和気藹々としていて、入りづらい。苦手な空気感。
隅に座ると、みんなが声をかけてくれる。「ご本は好きなんですか?」と聞かれる。しかし僕は知らない。たぶん好きなのだと思うが確信が無い。「さぁ...」と、小さな声で答える。
「実はこの4歳児は僕の娘ではありません。一時的な関係なので、色々と聞かないで下さい」と説明するわけにはいかない。話が長くなる。
そのうち、読み聞かせが始まる。読んで聞かせるだけでなく、こちらにアクションを要求される。僕が最も苦手とする、幼稚園のお遊戯的なアクション。
よくわからない流行の絵本キャラクターが登場し、僕以外の皆が知っている歌を、全員で歌う。僕は口をぱくぱくさせて、手の動きもぎこちない。でも娘さんは楽しんでいた。




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おやつの時間になり、1階のケーキ屋兼カフェの「BROWN SUGAR」で休憩する。この商業ビルに来た時には、ここに行く事にしている。
僕はコーヒーと「ダークチェリーのクラフティ」、娘さんはホットミルクと「ブラウンシュガー・ロールケーキ」を選ぶ。
さすがに「サブカル・ライブイベント・カフェ」系の両親に育てられた人である。4歳児でも、実に自然にカフェの時間を楽しんでいる。高校時代の僕よりもリラックスしていると思う。
騒いだらどうしようと心配していたが、にこにことロールケーキを食べて、楽しそうで良かった。
4歳児に「おじさんは、いつも、こういうものを食べているの?」と質問される。「いつもではない。大人はケーキばかり食べない」と答えた。




そして帰宅する。
ほっとして、僕は眠くなる。彼女は急に元気になり、「ママは何処に行ったの?パパは何処に行ったの?」と不機嫌になる。
「パパとママは、君を置いて映画(クロニクル)を観ているよ」とは冗談でも言えない。そういう雰囲気では無い。
仕方がないので「どうしても、という時に使うこと」と託されていた「ハッピーターン徳用袋」を開ける。彼女は何よりハッピーターンが好むと、ママから聞いていた。
1枚食べさせると、しばらくは幸福になるようだ。さすがハッピーターン、と面白くなって2枚目を与える。またハッピーにターンする。おやつのロールケーキよりも幸せそうだ。
そのうち、効果時間が目に見えて短くなる。そして強く要求してくる。「2枚まとめて食べたい、そうしないと美味しくない」と主張する。
ハッピーターン中毒」という言葉が頭に浮かぶ。「この人、わかってて不機嫌な振りをしているのではないか?」という疑惑も発生する。
夕食前に徳用袋を空にする訳にはいかない。「どうしても」という意味がわかってくる。そして駆け引きが続く。



その頃、友人夫婦はこちらに向かっていると連絡が入る。
僕の持つ最後のカードを、ここで使う。「そうだ。しずてつストアに行こうよ」と提案する。「今日はポイント5倍デーなんだ」とアピールする。
そして「しずてつストア」までゆっくり移動し、時間をかけて買い物をする。いつの間にか彼女の不機嫌も幾分は解消している。なぜか幼児は例外なくスーパーマーケットが好きだ。
そんな風にして、最後の1時間を凌ぎ、友人夫婦に引き渡した。
それからみんなで、天婦羅屋に行き夕食を食べた。



別れ際に、友人夫婦から、お礼にと「ミニサイズ・クロカンブッシュ」を貰った。
個人用クロカンブッシュなんて品が何処かで売られているという事実に驚く。静岡県の何処にそんな店があるのか、見当もつかない。
とりあえず部屋に飾ってみた。今もまだ馴染めない。しかし甘くて美味しい贅沢なお菓子だ。ついつい摘んでしまう。






稀に、乳児を預かることもある。
乳児は、ある意味では楽だ。かつて飼育していたイグアナや熱帯魚のノウハウが活かせる。
極言すると、相手に慣れてもらう事にだけ力を注ぐと上手くいく。必要ならば息を潜めて、最小限の動きで接する。犬猫のような「感情のやり取り」を期待しない。
そして、こちらは決して慣れない様に意識して、注意深く正確に育児ツールを使いこなす。
別に育児の経験が無くても「まあミルクの濃度にこれくらいの誤差があっても大丈夫だろう」と、びくびくしなくても済むのは、理系の教養が活かせていると思う。
それから文章化されたマニュアルが多いことも心強い。



これが4歳児になると、かなり賢いから苦労する。
それなりに感情の行き来があるように振る舞わないと気を悪くされて上手くいかない。動物園の飼育係(大型哺乳類担当)程度の心の交流が必要かもしれない。
最初の数時間で「親でも親戚でもない、でも基本的に親切な他人」というキャラクターが確立すると、ずいぶん楽になる。
それからトイレだけは常に気を使う。今日の彼女も「なんでこのおじさんはトイレの事ばかり聞くのだろう」と思ったに違いない。
贅沢をいえば、相手をしながら片手では常に片付けをしていると、後でずいぶん違ってくる。割れ窓理論というか、荒れた場所はさらに荒れる。



今は通信機器は充実しているし、いざとなったら「無理でした」と引き渡す心積りで預かるから、心労は想像するよりも少ない。
僕は子供が苦手だ。何人かの女友達は「他人の子供でも可愛くて仕方がない」と言い、赤ちゃん言葉を駆使できるが、僕はそういう振る舞いができない。
親しくない子供と、親しくない大人、どちらかを選べと言われたら、大人と半日を過ごす。
甥と姪は、赤ちゃんの頃から知っていて、やはり他人の子供とは違う。もちろん遺伝子の共有具合が云々ではなくて、付き合いが長くてお互いに親しいのだ。



子供に対して親切に振る舞うことはできる。笑い顔は可愛いとも思うが、人の親が言う「可愛い」とは違う気がする。そして留保無しの愛情あふれる仕草は、演技でもできないのだ。
しかし半日程度の付き合いならば、乳児でも幼児でも、愛情を注ぎ込まずとも何とか凌げてしまう、あるいは愛情不足は技術の問題に転嫁できそうな、そういう実感がある。
長期間では変な影響があるかもしれない、親密とはいえない子供との付き合い方。とはいえ回数を制限すれば、子供側もトラウマ的な何かは残らないのではないか、と楽観視している。
僕だって毎週こういう事は出来ない。向いていないと思う。
でも、なにやら臨界寸前の友人に「まだ"詰み”じゃないよ。他の手もあるよ」と可能性を提示するのが、独身で暇人で理屈屋の、自分の立ち位置だと思っている。ある意味では、パソコンの修理と同じだ。








創られた伝統 (文化人類学叢書)

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