おいしいコーヒーのいれ方と、その先の未来。

 


Coleman(コールマン) パルテノンコーヒードリッパー 170-9370
コーヒーが好きで、ほぼ毎日飲んでいる。
喫茶店やカフェでも飲むし、自分でも淹れる。インスタントコーヒーから専門家のハンドドリップまで、甘くなければ何であれ好んで飲む。
コーヒー味の飲み物ならば大抵は美味しく飲めるが、味の違いも楽しめている。



父は酒ならば何でも愛飲するが、きちんとワインや日本酒の良さも珍重する。それに似ている。酒はエタノールの酩酊作用があるからちょっと違うかもしれないが、とにかく愛飲している。
ケーキに関しては「どうせ食べるならば良いものだけを食べたい」とより好みしている。目まぐるしく変わるコンビニスイーツ界隈からは遠ざかりたい、という気分もあって、安いものは自分では買わない。
安くても美味しいスイーツは沢山あるが、外れると悲しいので、一定の線引きをしている。自制が効かない恐れもある。だから「大吟醸しか飲まない」とは、ちょっと違う。



例外として、缶入りのブラックコーヒーは苦手だ。後味と香りが好みに合わなくて、遠距離運転の際に仕方なく買うだけに留めている。あの残念感は缶コーヒーだけだと思う。
スターバックスなどの、趣向を凝らした甘いコーヒーも、特に飲んでみたいと思わない。あれはデザートの範疇だと(たまに飲むと)思う。
それから、家でインスタントコーヒーを飲む時の為に、自室にはシナモンパウダーの瓶を常備している。不思議と美味しい組み合わせ。
甘くてミルク入りの缶コーヒーは、原則として飲まない。



ベトナム旅行の際に「ガイドさんが普段行くカフェに行きたい」とリクエストした。屋台よりはうんと高い、欧米の長期旅行者やベトナムの中流以上の人達が使う店を教えてくれた。
「こういう店のコーヒーは"ロブスタ種”だ。日本人の皆さんが飲む"アラビカ種”と違い、主に安いインスタントコーヒーや加工品や途上国の庶民が飲むから、美味しくないと思う」と言っていた。
確かに、高級な感じは微塵もしない。それはわかる。しかし「これはこれで美味しい」と、十分に楽しんだ。ガイドさんは「ネスカフェのほうが高級」と言っていて、確かにメニューにネスカフェがあった。
余談だが、1ドルもしないケーキが滅茶苦茶に美味しかった。隠遁生活をするならベトナムのハノイが良い。全財産を現金化して、毎日ケーキとコーヒーで余生を過ごしたい。







先ほども、コーヒーを1杯飲んだ。特に新鮮では無い豆を、普通のペーパードリップで淹れた。これも美味しい。
いつも片付けの時に「勿体無いなあ」と思う。コーヒーは廃棄物が多すぎると思う。庭に撒けば「油粕」代わりに肥料になるというが、海外から運んできて、一回だけ抽出して終わりでは贅沢過ぎる。



かつてインスタントコーヒー工場に研修で通った事がある。粉末をアルミフィルムで包装する技術を学んだ。
その時に「これはまだ秘密だけど」と、1つの研究を教えてもらった。詳細は秘密だが、世界中の食品会社が挑んでいるという点では公然である「業界の夢」の話。
今現在、コーヒーは全て、水で抽出されている。高温高圧のエスプレッソから水出しコーヒーまで水の状態は様々だが、少しの例外(コーヒーリキュールと香料)を除いて、コーヒーはコーヒー豆と水で作る。
それでは収率に限界がある。例えば豆を微粉化して必要な成分だけ選り分けたり、水以外の溶媒で有効成分を抽出・単離するといった革新的方法を使えれば、廃棄分を減らせる。
その試みはコーヒーがエチオピア辺りで飲料になってから延々と続く試行錯誤で、特に第二次世界大戦では「代用コーヒー」を超える高コストパフォーマンスを各国が求めた。
残念ながら今でも、いちばん安いインスタントコーヒーであっても、コーヒーを作る際には「炒って砕いた豆と水(多くは熱した水)を接触させ、味と風味を抽出する」という基本原理は突破されていない。



諸科学の発展も含めた未来予測から「コーヒー豆を原料とする高収率の嗜好品は、コーヒーの味では無いだろう」と指摘されている。
それはまあ、よくわかる。美味しいコーヒーの淹れ方は「雑味対策」に終始している。原理的な問題では無いにしろ、コーヒー豆の大部分が捨てられる事には理由があるのだ。長く煎じたら不味くなる。



でも食品会社の人達は諦めない。「コーヒーによく似た(雑味に溢れた)新しい飲み物」もまた、「これはこれで美味しい。何しろ安い」と受け入れられる可能性を信じている。
コーヒーの需要は今後も伸び続ける。人口が多くて貧乏な国の人達が、潜在的な客となる。「そんなものコーヒーじゃない」と先進国では言われるかもしれないが。
食品会社の人達のもう1つの夢物語の終着点は「新しい嗜好品として、コーヒーではない別の飲み物」として世界に受け入れられる事という。同じ原料の、全く別の嗜好品。
コーヒーを飲まない人達に向けた、コーヒー豆由来の新世代ドリンク。
しかし新しい嗜好品は、特に大人が嗜む甘くないものは、なかなか定着しない。宝くじみたいなもので、当たらないほうが普通。






今のところ、その「革命的コーヒー豆飲料」は生まれていないようだ。
いつまで経っても、コーヒーを淹れた後には大量の廃棄物が生じて、ほんの上澄みを僕達は愛飲している。
とてつもなく贅沢な飲み物だと思う。
ペットボトル入りの緑茶が、製茶職人が見たら怒りそうなくらいに荒っぽい「茶葉由来の乾燥した細かいもの」から高効率に淹れられている(とはいえ原理的には急須と同じ)事に比べれば、進歩が無い。
この贅沢はつまり、コーヒー豆が「途上国の農産品」であるから許されている。
コーヒー豆は高価だが、不味さを我慢して無駄無く使う種類の農産物では無いのだ。
味の問題は量があれば解決する。豊かな人達が楽しむ嗜好品で贅沢品なうちは、コーヒーの量的問題は生産国の側に押し付けられる。
いつか来るコーヒー経済の大破綻に備えも考えに入れて、あのインスタントコーヒー会社は今も技術を磨いているのだろう。
あるいは突然、半量の豆で、今の7割くらいの味わいのコーヒーの淹れ方が発明される可能性はある。おそらくマクドナルドが即時導入するだろう。
そういえば、マクドナルドのコーヒーも「あれはあれで美味しい」と思う。値段を考えると十分以上の味。何か秘密があるのだろうか。



ふと思ったが、豆腐は「庶民の味」にしては贅沢だと思う。大豆の大部分を廃棄するし、手間とエネルギーもかかる。日持ちもしないし、持ち運びも面倒。
しかし豆腐もまた「では大豆の利用率を上げましょう」と言い出したら、それは今の豆腐とは違う何かになる。
豆腐は元々、余裕のある人の食べ物だったのかもしれない。オカラは下々の者が食べるか、飼料にする。大豆は食べるのに手間がかかりすぎる農産品と本で読んだことがあった。
あくまで印象だが、豆腐単体では無駄が多い気がする。油揚げなんて贅沢品の極致だ。




全然関係無いが、今日のおやつはマリアサンクで「パンケーキとケーキのプレート」を注文した。ケーキはチョコレートモンブランを選ぶ。紅茶と共に楽しむ。
不思議な事に、添え物的なパンケーキであっても、ケーキ屋の個性が出る。
パンケーキとチョコモンブランのセット。今日のおやつ。





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