血管が見つからない。

 
今日は人間ドックで、朝から病院へ。
ハーフサイズの人間ドックだから、昼過ぎには終わる。総合病院の中を、言われる通りにうろうろと巡る。
そして今年も、血管が見つからない。採血ができない。
色んな看護師さんが腕の内側を見て、ぺしぺしと叩いたり、睨んだり、つねってみる。若手インターンみたいな人も来る(この人はあまり期待されていない様に見えた)。
ベテラン看護師が針を構えてから「やっぱ駄目だ。これはFさんの出番だ」と言い出す。
その頼もしきFさんも、「あーこれ駄目なタイプだわ」と言う。僕はそう、駄目なタイプなのだ。
Fさんが駄目だった為に(おそらくは奇手として)呼ばれるSさんが登場する。単純な実力のピラミッド構造ではなくて、得意不得意があるのだろう。Sさんは指の感覚で血管を探る。
そしてSさんも「駄目だ」と宣言する。「もう少しで行けそうに見えるが、実は全然駄目なタイプ」と判定された。
医療従事者に匙を投げられるという経験は、それが単なる採血であっても不安になる。投げられる匙は医療用の「薬匙」というから、今日の状況は的確な慣用句だと思う。



20代の前半までは、特にこういう不都合は無かった。献血もよく行っていたし、どの医療施設でもぷすりと採血針は刺さった。
何が変わったのだろう、と考えてみるけれど、肘関節の内側の事なんて心当たりが無い。これもまた老化なのだろう、と根拠無く思う。
ともかく検査のハイライトである(一番多くの情報が得られるであろう)採血は、避けては通れない。別の日に繰り越すことも無意味だ。
だから問題解決に向けて「前は手の甲から採血しました」と進言する。実は席についた時にも言ったのだが、念の為に言う。




結局、手の甲から血は採られた。
看護師さん達は、出来ることならば手の甲からの採血は避けようとしている様に見えた。以前もそうだった。何か不都合があるのだろうか。神経に近いとか、クオリティ・オブ・ライフの問題だろうか。
よくわからないが、とりあえず採血は不快である。たぶん気分の問題だが、できれば避けたい。血を抜かれているところを凝視する時もあるし、見ていられない時もある。今日は前者だった。



全ての検査が終わると、ドトールのチケットが貰える。これは病院内のドトールで、コーヒーとサンドイッチに換えてもらえる。
別に食べたいものがあったから、コーヒーだけもらう。ではこれをどうぞ、とデニッシュをくれた。



帰宅してから、チーズを大量に挟んだチーズサンドイッチを作る。待ち時間に読んだ小説に出てきて「今日はこれを食べよう」と決めていたのだ。
それからサラダを山盛りと、低脂肪乳と、ヨーグルトを摂る。今日はことさら健康に留意している。オヤツも食べていない。ドトールのデニッシュも食べていない。




「3月のライオン」の最新刊を読む。いつも「ハチミツとクローバー」と混ざって、「8月のライオン」と覚えてしまう。ハチが8になる。
何かきっと由来のあるタイトルだと思う(3月に、獅子にちなんだ将棋のタイトル戦がある、等)。
それさえわかればきっと間違えない。理由や原理がわからない物は、本当に覚えが悪い。そして今はもう、日本語変換ソフトも「8月のライオン」をすんなり変換候補に出すようになってしまった。

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