戒律を守ろう。

 
高校生の時に、インドネシアからの留学生と仲良くなった。クラスが同じで、ホームステイ先が我が家から近く、すぐに休日も一緒に遊ぶようになった。
頭の良い人で、2ヶ月もしたら日本語(静岡弁)をマスターして、ひらがなとカタカナも書けるようになった。
よく冗談交じりに「カトウくん。イスラムになりなよ」と言われた。「イスラムはシンプルだよ。ブッダもキリストもいいけど、イスラムがいちばん単純。豚を食べないから健康にもいい」と勧める。
確かに、宗教は(多くの場合)ものごとをシンプルにする。世界の仕組みを現実以上にややこしくする神様というのは、庶民には求められていないと思う。



しかし僕は神様には興味が無い。クリスマスケーキは好きだが、特定の宗教に属するつもりは無い。複雑な世界を複雑なままに見ていたい性分。
でも日常生活に戒律というかルールを設けると、少し生活が簡単になる。ルールは無根拠なほうが良い。理屈を付けはじめると、別の理屈に覆される恐れがある。
普段は意識していないルールを、いくつか書き出してみる。

  • ベルクロテープを使ったカバンは買わない。
  • フードのある服は買わない。
  • カーゴパンツは買わない。
  • 定価より高い古本は買わない。
  • マヨネーズは避ける。
  • メーカーロゴだけのプリントTシャツは着ない。
  • スナック菓子は買わない。
  • コンビニのケーキは買わない。
  • 「どうも」という場面で「ありがとう」と言う。
  • 海外旅行の渡航先では日本食を避ける。

他にも色々あるけれど、基本的に「べからず集」の形式になる。守れない時は諦める。
こういうつまらない戒律があると、例えば服やカバンを衝動買いする危険性が下がる。もっと具体的に言うと、ファストファッションで無駄遣いをしなくなる。
少なくとも日常的な安い買い物で無駄遣いをする頻度は減る。本当はオヤツ関係をもう少し厳しく引き締めたいが、人には向き不向きがある。
どこかで損をしている可能性は大きいが(例えばフード付きのパーカーを買っていれば、今年の春はもう少しだけ楽しかったかもしれない)、ぼうっと暮らしている限り気づかないから大丈夫。
別にパーカーやカーゴポケットが嫌いな訳では無い。しかし制限をつけないときりが無い。そしてベルクロテープやロゴプリントが無くても、生活は十分に豊かにできる。
マヨネーズは、子供の頃に大嫌いだった。しかし何が嫌いなのか、よくわからない。だから今でも好んで口にはしない。食べ物に付着していたら、少しの抵抗とともに食べる。そういう理不尽な戒律もある。
衝動を抑えるのに、理性ではなく戒律を用いるというのは明らかに頭の悪い方法だけれど、楽なことは確かだ。奴隷の安楽さだと思う。
もちろん他人には絶対に求めない。紛争は原則として回避されるし、その為のルール違反は問題としない。
戒律を破ろうか守ろうか悩む時もある。そういう時は、昔の失敗を思い出すことにしている。熟慮の結果、ルールを変更する時もたまにはある。なんとなく後ろめたい。
守らない時に神罰が下らないところが、このシステムの難点ではある。あくまで自分の心の問題。





そして今日は、ベルクロ付きの肩掛けカバンで、とても良い品を見つけてしまった。
ベルクロを取っても使えそうな気がするけれど、買わなければわからない。
悩ましい事態だ。「内なる神の声」に耳を澄まし、賢明な判断をしなければならない。とりあえず今日は頭を冷やす。しかし素敵なカバンだった。クリアランスセール中で2割引き。最後の1つと店員さんは言っていた。




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