昨日の夜、遠方に嫁いだ友人と電話で話した。電話をしながら、思ったことをTwitterに書き込む。
娯楽ではない日常の料理、いわゆる自炊をする男性に対して、未だに驚く人が居るのは何故だろう、という話題になった。
確かに僕も、職場が変わるたびに食事の心配をされ、自炊をすると回答し、驚かれる。そして必ず「得意料理は何ですか?」と聞かれる。単なる言葉のキャッチボールだろうが、上手に答えられない。
友人は兼業主婦でひと通りの料理ができるが、やはり、これといった「得意料理」は無いという。
家事として日々の食生活を賄っていると、特別に得意というものは減っていく気がする。
例えば僕は「ナスの肉味噌炒め」という料理を作った事が無い。そういう料理の実在も知らない(有りそうな気がする)。しかし味が濃い、甘味噌味の炒めもの(唐辛子で風味付け)という想定はできる。
しかし想像で作っても、食べられないレベルの変な品にはならないだろう。完成写真か、食べた人の証言があれば心強い。「オレンジページ」か「暮しの手帖」があれば完璧に作れる。
逆に「苦手な料理」は簡単に答えられる。僕の場合は「揚げ物」全般が苦手。これは後片付けが面倒なので、少人数の際には避けている。友人は焼き色を加減する工程が苦手という。
滅茶苦茶に不味いものは作らないが、普段は「普通に美味しい」ものを安上がりに作る。特に1人の時は、栄養摂取を再優先に考えてしまう。
結局のところ「得意料理は何ですか?」という問いには、「カレー」と答えるのが無難ではないかと結論した。しかし「どういう工夫をしているのか」と続けて聞かれたら困ってしまう。「適当に」としか言えない。
要は「こだわり」が無いのだ。強いて言えば、今年の夏はゴーヤーチャンプルの新境地に達したから、「得意料理はゴーヤーチャンプルです」と答える事が可能だ。ゴーヤーチャンプルの工夫なら語れる。
数を根拠にすると、いちばん作っている料理は「人参サラダ」である。しかし人参サラダは工程の大半をスライサーに頼っているため、料理としては格が低いというか、ご馳走感に欠ける。
実は得意というか、かなり娯楽的側面を持つ自炊活動として、ジャム等の瓶詰めを定期的にしている。
しかしこれは、今までの勤め先では(あるいは飲み会の場では)秘密にしていた事が多い。ジャムを作る男性に非寛容な人達というのが存在するのだ。
そういえば、かつてお弁当を持参していた時にも「(あんまり言いたくは無いけれど、あなたの為に言うが)お弁当を作ってくれる素敵な子はいないの?」と言われた事があった。
理由は定かではないけれど、高学歴の人ほど「他人の自炊」に興味を持たない傾向を感じる。これは一人暮らしの経験があるからだろうか。
僕の周囲では、理系の人達は他人が自炊をする事に無関心というか、「驚くにはあたらない」という姿勢を見せる。しかしこれは単なる印象論である。
昨晩の電話では「パートのおばちゃんは、男性が料理をする事に対して過剰反応する」説を、僕と友人との共通認識として確立した。彼女らにはジャム作りは秘密にしておくほうが無難だろう。
チョコチップクッキーならばレシピ無しで作れるけれど、それも外では(特に仕事の場では)言わないことにしている。
関係無いが、クッキーはレシピがあったほうが絶対に美味しい。目分量で作っても、誰も褒めてくれない。
今日は暇な時間を見つけて、瓶詰めを3種類作った。
バジルペーストと、ナッツの蜂蜜漬けと、ラムレーズン。午前中に材料を購入し、昼過ぎに全て完了した。
バジルは、庭に繁茂している葉を使う。温暖な静岡中部では、バジルが越冬する事もある。そして越冬したバジルは、もうハーブには見えない雰囲気がある。埋立地の雑草に似ている。
風味も、バジル臭というよりも、雑草の青臭さがある。ちなみにミントも越冬すると、“雑草化”する。特に花芽をつけると風味が落ちる。
それでも若い葉を摘んで使うと、それなりに香りの良いものが出来上がる。
ニンニクは薄切りを乾燥させたものが乾物庫にあった。もともとニンニクを使わない家なので、こういう機会でもないと永久に乾燥ニンニクは消費できない。
鷹の爪とニンニクをオリーブオイルで炒め、そこに松の実を加え、冷ます。バジルをすり潰したところに少しずつ加え、全体がペースト状になったら完成。塩も少し入れる。
今日は量が少ないのですり鉢を使用した。ガラス瓶に小分けし、オリーブオイルを上から注ぐ。小さく切った月桂樹を沈めて、蓋をして完成。
ナッツの蜂蜜漬けは、デパートの高級スーパーに売っているものを真似した。1回購入して味を覚え、何度か試作して概ね同じ味になった。
今日はアーモンドとカシューナッツを使う。どちらも無塩のもの。オーブントースターでぱちぱち鳴るくらいに加熱し、瓶に8割程度入れて、蜂蜜を注ぐ。
刻んだレーズンとドライクランベリーも入れてみた。これは彩り用。
蜂蜜を注ぐ時にもぱちっと音がする。
どんな蜂蜜でも、まず失敗はしない。大瓶の(恐らくは)糖が添加されている安いものでも美味しいし、個性のあるきちんとした品で作ればもちろん反映される。
熟成が必要なのか、すぐに完成とするのかはよくわからない。ナッツに蜂蜜が染みこむ時もあれば、長く置いてもそうならない時もある。
なんにせよ、常温で長期間保存が可能な瓶詰めである。食べる機会や機運を逸すると、いつまでも食品庫の隅に放置されてしまう。そして食べ始めると、あっという間に消費してしまう。
無くても全然困らない種類の食品。しかし小さな贅沢を感じられる品ではある。デパ地下的な贅沢。それを安く自作したという満足感。あまり他人には言えない種類の満足感でもある。
ラムレーズンは、たまたまノンオイルのレーズンが手に入ったので作ってみた。ノンオイルのほうが安く、しかも油抜きの手間が要らない。しかし売っている店が少ない。
ラムは製菓用ではなく、普通の「マイヤーズラム」の中ボトル。製菓用は少ないし「ラムっぽさ」も薄い気がする。
もっと安いマイナーな銘柄で、実にラムレーズン風味に合うものがあったけれど、ラベルを忘れてしまった。隠し味に黒糖を砕いて加えると良い、と聞いたことがある。
今日は単純に、レーズンとラム酒を混ぜて、瓶に詰めた。これも忘れた頃に食べると美味しい。おそらくは冬にアイスクリームと合わせて消費する。
今回は、「WECK」という海外の保存瓶を使用した。日本でも売っているが、アウトレットで安くまとめ買いしたものを友人にお土産で貰ったのだ。なかなか便利。
殺菌はかなり手抜きで、アルコールに水を少し混ぜて拭いて、電子レンジで加熱乾燥しただけ。マイクロ波でどれだけの滅菌ができるのか知らないが、たぶん大丈夫だろう。
バジルペーストだけはカビの心配があるために、数日間の冷暗所放置の後に冷蔵庫で保管する。色も冷蔵庫のほうが長持ちする。
始めてしまうと大した手間はかからない。しばらくは(少しだけ)豊かな食生活が保証される。
これが僕の娯楽としての料理。道楽の割には実用性が高いところが、ある種の貧乏性だと思う。ふと思いついたが、コーヒーを淹れる行為は家事なのか娯楽なのか。コーヒーは好きだ。
瓶詰め作業の合間に塩豚も作ったけれど、塩豚には娯楽感が少なかった。