玄米ごはん


静岡市の山奥に行く用事があって、ついでに少し紅葉見物をした。
我が家の周りと違い、山はすでに色づいていた。イノシシの足跡もあった。





昼ごはんを食べるところが無くて、探しまわった末に、古民家を改造したカフェ・レストランみたいなところに入った。
玄米菜食、いわゆるマクロビオティックなメニューのお店。そのランチメニューを注文した。
ワンプレートに、玄米のおにぎりと、野菜の煮物とお惣菜がいくつか盛られている。それに澄まし汁。食後には番茶が出た。
全体に、ちょっと塩辛い気がする。しかし「良い塩」を使っているので、塩分は気にしなくて良いとの事。
別に不味くは無いけれど、これが本当に身体に良いのだろうかと疑念を抱きながら食べるから、あまり心楽しい昼食とはいえない。まあファストフードよりは良いかもしれない。
「健康な人間の腸では元素の変換が起きている」とか「味噌と皮を剥かない茹で野菜で放射能は防げる」といった、超科学的な文章がメニューの後ろの方に並ぶ。
それを読みながらお茶を飲んだ。
メニューやポスターやフライヤー、それに本棚の書籍と、とにかく主張の多いお店なのだ。読み物には不自由しない。




お店の周りには、無農薬野菜の菜園(“酵素”を散布中)や、子供達を健やかな環境で育てる保育施設や、シュタイナー教育の資料を集めた小屋があった。
ハーブ園は荒れ果てて閉鎖されていた。他の施設も、あまり上手くいっていない様子。
静岡市に、この手の共同体(というには小規模だが)があるとは知らなかった。
こういう運動なり活動が盛んなのは、どちらかと言えば都会に近い山里だと思う。都市生活へのカウンターカルチャー
東京や愛知の隣県(山梨県東部や三重県北部)では、本当によく見かけた。静岡中部では珍しい。
僕は正直なところ、こういうお店は苦手だ。
どうして彼ら彼女らは、自然の恵みが全方向に(あるいは自分達に都合の良い方向に)もたらされると信じてしまうのだろう。
わかりやすい幾つかの事柄(茶色い食べ物は良い、白砂糖は悪い、等)を守るだけで健康と幸福が約束されるというのは、ずいぶんと能天気だと思う。




それはそれとして、何かを強く「信じている」人達の食べ物というのは、ちょっとした非日常を感じられるから嫌いではない。
その理論を信じなくてもいいのだ。ただ単に、説明付きの食事が好きなだけかもしれない。
奈良のお寺で出されたお粥とか、カンボジアで食べたお供えもの(を調理した)ご飯。それぞれ、とても印象に残っている。ジムで貰えるプロテインも、同じようにわくわくする。
西洋の暦にちなんだケーキも、あれば必ず選んでしまう。
いつか、禅寺の、本格的な精進料理を食べてみたい。





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