映画『グスコーブドリの伝記』

 
 
 

アニメ映画『グスコーブドリの伝記』を映画館で観てきた。
同じ監督とキャラクターデザインで作られた『銀河鉄道の夜』は、小学生の頃に何度か観て、強く印象に残っている。夏休みの、昼のアニメの時間に見た。青みがかった猫の、全体に沈んだトーンの作品。
グスコーブドリの伝記』も、キャラクターは猫で描かれている。そしてやっぱり、気持ちがすかっと晴れるような映画ではなかった。
嫌いな雰囲気じゃない。ストーリーも宮沢賢治の童話を上手くなぞっていると思う。
ただし、ちょっと演出に凝りすぎていて、いまいち盛り上がりに欠けるストーリーがさらにわかりづらくなっている感じ。
子供向けの痛快娯楽作品じゃないけれど、見れば子供にも得るものがあるのではないか。僕が『銀河鉄道の夜』を今も覚えているように。


しかし豪華な演出は、それだけでも魅せるものがある。スタジオジブリ作品とは違う「描きたいものを全部つめこんだ」感じは飽きさせない。



宮沢賢治は、それほど好きではない。
中途半端な科学信仰というか、西洋文化にかぶれている夢想家、という印象がどうしても頭から離れない。言葉遣い(特にキャラクターの名前)が、垢抜けなくて、上手く作品世界に入っていけない。
短編やいくつかの小説は気に入っているが、詩や代表作は苦手だ。世間一般に広まっている「純朴な詩作青年」という賢治像も、実は嘘なんじゃないかと密かに思っている。




映画の内容はともかく、連休中だからか、妙に映画館がざわついていた。
予告編が終わっても喋り声が聞こえる。鑑賞中のひそひそ声は、意外と聞こえるものだ。
途中までさんざん喋っていながら「これ、つまらんわ」と退場する人もいた。娯楽色の薄い作品の場合、こういう人は居るものだが、黙って退場してほしい。
スクリーンを携帯電話で撮ろうと手を伸ばす人までいた。
なんというか、映画鑑賞における基本的な緊張感に欠けていたように思える。




前のほうの席に、軽度の精神障害者(付き添い無し)が1人いた。
彼は30秒毎に、かなりはっきりした唸り声(うー、うぉっ)をあげる。これもずいぶん気になった。
もちろん障害者の立場も尊重すべきだし、その程度で劇場から放り出せとは言えない。でもやっぱり「うるさいなあ」と不快に思ってしまう。「そういう考えは紳士的ではない」とわかっていても、難しい。
こと映画鑑賞においては、僕は不寛容なほうだと思う。
なんだか自分の"器の小ささ”を再確認させられているようで、映画が終わったあとも考えこんでしまった。








強い思い入れを持って行ったわけじゃない(暇つぶしと涼しい数時間を求めた)映画鑑賞だったが、なかなか思うところが沢山あって、稀有とはいかないまでも珍しい体験だった。
そしてなぜか、この程度の評価の作品のほうが、頭の中に残る傾向がある。たぶん何年かしたら、この騒がしかった映画館とともに思い出すだろう。それは全然、悪いことではない。






 

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