昔の感覚


友人から、簡単な写真の加工を頼まれていた。
ショップカード作りやロゴマーク等の作成をしているので、たまに、この種の頼まれごとをする。
軽々と請け負ってしまったけれど、よく考えてみたら手元には必要なソフトウェアが無い。具体的に言うと、Adobe社のPhotoshopが欲しい。
Macに乗り換えてから、Illustratorは買ったけれど、Photoshopは買わなかったのだった(なにしろ高価なので)。
はじめはMacに標準添付のソフトで何とかできるかと思ったが、やはり細かい調整ができないし、試行錯誤の時間がかかりすぎる。
Photoshopの代替といえば、フリーウェアのGimpがある。とりあえずダウンロードして、使い方を模索しながらの製作になった。



Gimpは、Mac用のソフトとも、Windowsのソフトとも違う。もともとUNIX系で開発されているものなので、メニュー構造からショートカットまで、細かいところで違和感がある。
それでも日本語化されているため、なんとか使いこなした。



この違和感は、子供の頃に記憶がある。
当時(小学生時代)に、ファミリーコンピュータのゲームソフトで、パソコンからの移植作品を遊んだ時の感覚。または、海外で開発されたゲームの操作感。
慣れてしまえば、それはそれで問題無いのだが、感覚的に操るには苦労する。
なんとなく、外国車を運転する時や、外国製の家電を扱う時とも似ている。
洗練さの度合いや、優劣ではないと思う。きっと習熟すれば、きちんと使えると思う。
しかし疲れるのは確かだ。




WindowsMacは、どちらもシームレスに扱える。たまに手が止まることはあるが、概ね"設計意図”みたいなものを読み取れていると思う。
なので大抵のソフトは、マニュアルが無くても悩むことはない。
今日は久しぶりに操作ミスを連発した。思いきってPhotoshopを買ってしまおうかと思ったほど。しかし年に数回の画像処理のために、そんな贅沢はできない。それならばGimp教則本を買うほうが利口だろう。
Illustrator(これも高い)のフリーウェア版ともいえる、Inkscapeというソフトもある。後々のことを考えると、乗り換えるほうがお得なのかもしれないけれど、まだIllustratorの使い心地に未練がある。





写真を撮るのが下手というか、撮る時に考えが足りなくて、後で画像処理をする際にものすごく苦労する。
今日も大変に辛い思いをした。影とか、照り返しとか。
いつも後になって後悔する。阿呆みたいだ、と我ながら思う。今日も作業中にひたすら反省していた。撮り直しに行こうかと思ったくらいだ。





今日は、この画像編集と、他のパソコン作業と、それから窓のシャッターの修理、そして靴と鞄のメンテナンスをして一日が終わってしまった。
もう少し休日らしい楽しみ方があったと悔やまれる時間の使い方をした。でもまあ、懸案が片付いて良かった。





 

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