残念で大切なお知らせ

今日、退職した。明日からは失業者。

何年も前から心身を患っていて、でも今はもうほとんど回復していて、最近は在宅で出来る仕事(書類作りとか業務上のアドバイスなど)をしながら療養中だった。
ずいぶん長い期間、家で楽をしながら給料を貰っていた。
しかし産業医の先生と会社の判断で「心労で体調を崩すタイプの人が働ける部署は、現状では無い」とされてしまい、実際に自分の同僚や先輩達が何人も辞めている状況なので、僕も退職することになった。
僕が家で寝込んでいる間に、会社の雰囲気が全く変わってしまったようだ。「昔は良かった」とはあまり言いたくは無いが、自分のようなタイプが勤め続けるのが難しい会社に変わってしまったらしい。それは親交のある先輩社員達から愚痴の形で聞かされていた。




将来への不安は、もちろんある。夏の終わりには決まっていた事だが、今になって焦りもでてきた。
でも一応の蓄えはあるし、失業保険もあるし、日本で飢え死にすることもないだろうから、特別に落ち込んだりはしていない。今のところ高価な買い物の予定は無いし、実家暮らしだから食費さえ納めていればなんとかなる。
落ち着いて、やりたい事、続けられる仕事を探していこうと思う(お勧めの仕事があったら連絡下さい)。






新卒で配属された工場は、とても良い職場だった。
初めの1年間は、いいかげんな上司の下で、のんびり働かせてもらった。会社勤めに対する、ある種の楽観を身につけられたと思う。
次の年からは、機械に詳しい先輩に、みっちり仕込まれた。ACとDCを混同するレベルの僕が、一応は機械整備を出来るようになったのは、この時期の影響が大きい。機械好きになった。
単純労働とエンジニアを両方楽しめた、良い期間だった。
それに、パソコン操作に詳しい工場勤務者として、職場でも特別な立ち位置を得ることができた。
その後、何年かの間、全社的に有名な不良社員(全然働かないおじさん)の部下になった。それなりに苦労したが、何かを期待されていると感じた。
この工場は、適当に働きたい人はそれなりに、努力してキャリアを積みたい人は成果を挙げれば良い、さっぱりとした良い個人主義があった。仕事ができない人を悪く言う人はいないし(評価は上司の仕事)、お互いが得意分野でフォローしあえた。与えられた仕事と、やりたい仕事をこなせば、それ以外は何も言われなかった。ドライで合理的で、今思うと、稀有な職場だった。
サービス残業は無かったし、有給休暇もきちんと取れた。





ある年に、会社が買収された。それからしばらくして「お前、何年か親会社で勉強してこい」という事で、三重県の工場に出向することになった。
この単身赴任生活は、なかなか楽しかった。友人知人に恵まれたし、とても充実した私生活を送ることができた。大学時代の4年間に匹敵する、忘れられない数年間を過ごした。
若い社員の多い職場で、よく連れ立って遊びに行った。学生時代と違って貧乏では無かったから、一人暮らしを満喫できた。
会社以外の友人も沢山できて(行きつけのカフェや雑貨屋さん関係で知り合った)、今も交流が続いている。



でも職場には馴染めなかった。
飲み会でのコミュニケーション(飲みニュケーションと称されていた)は苦手だった。
機械整備ひとつ行うのに、人間関係が関わる。他人のミスをフォローしたり、機械の改善をしすぎるだけで「ミスした人の立場が無い、可哀想だ」と言われた。前の職場と比べると、かなり"ウエット”な所だった。
サービス残業は当たり前なうえに、色んな"勤務時間に計上されない”業務があって(朝のラジオ体操や社内資格の勉強等)、思い返すと労働基準的にはかなり黒に近いグレーゾーンだったと思う。でもそういう企業風土なので(他県の工場は全く違うらしいけれど)、上司に相談しても徒労に終わった。
いちばん堪えたのは、パートのおばさん達の人間関係。彼女達を統括するのも職務だったのだが、機嫌が悪いと全然言うことを聞いてくれないし(社員よりも古株かつ熟練工なうえに、人員の余裕も無いのを自覚しているので立場が強い)、新人さんへのいじめがあったりして、とにかく疲れた。
どういうわけか、僕自身は彼女達に好かれていた。
しかし、虐められて泣いて辞めていく新人さんを何人も見ていて、多分そういうのが心身を蝕んだのだと思う。あんなに酷い虐めを大人になってから見るとは思わなかった。
最終的に、胃が痛くなり、鬱病を発症して休職することになった。
そのまま単身赴任期間が終わり、でも体調は崩れたままで、今に至る。
三重県を去る頃は、いちばん酷かった。よく引越し作業が出来たと思う。



結果として、三重県での単身赴任を"乗り切る”事ができなかった。
同じ状況で働いていた同僚は、静岡に戻ってきて、今も元気にしているので、相性があるのだろう。僕には「自己啓発」とか「心を楽にする」みたいな本にアレルギー的な拒否反応があるのも、回復を遅くした要因だと思っている。






今はそれなりに元気に暮らしている。早寝早起き、ジムでの運動。
両親には心配と面倒をかけていて、罪悪感はある。
とりあえず、これからは支出を減らさなければならない。特に今年に入ってからは、暇になると新刊本を買いまくっているので、それは自重したい。それと外食を減らせば、大丈夫だと思う。
しかしまさか「高い失業率」が自分の身に降り掛かってくるとは。
早く「平和な小市民的生活」を取り戻したい。


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