仕事が忙しくて、きちんとした料理を作っている暇が無い。
こんな時は手元にある物で済ませてしまう。
昨晩、寝る前に冷凍うどんを冷蔵庫に移しておいた。
こうすると解凍時間が短くなる。先日思いついた方法で、なかなか具合が良い。
とにかく、これで主食は確保。
冷蔵庫にもずくがあった。
ベランダにはシソが茂っている。クレソンはコップの中で成長している。
野菜を適当に刻み、茹でたうどんに乗せる。
もずくに醤油を混ぜ、上からかける。
何となく物足りないので、バジルの花芽も散らす。
量を増やす為に、戻したワカメと焼豆腐を添える。
焼豆腐を買った理由が思い出せない。
そろそろ賞味期限のトマトも切る。
たんぱく質が足りないので、少々考えてからチーズを足す。
目茶苦茶な味だったが(特にバジルとクレソンが主張していた)、食べられない訳では無い。
少し工夫すれば、ファミリーレストランのメニューで出せるかもしれない。
でも、何となく、料理を食べている気がしない。
エサっぽさが頭から離れない。
こういう“間に合わせ料理”は、独り暮らしの特権かもしれない。
誰かと暮らしていたら、双方の十分な理解と合意が必要になるだろう。
両親が働いていた時は、どんなに忙しい時であっても、きちんとおかずや汁物が用意されていた。
母が忙しい時は父が、父が忙しい時は母が、そして2人とも暇が無い時には僕達兄弟が料理を分担していた。
簡単な料理ばかりだったけれど、食生活に関しては“きちんとした”家族だったと思う。
全くの独り身でいると、こういう“きちんとする”事がおろそかになりやすい。
それは人によっては自炊だったり、掃除だったり、あるいは自分の布団で眠ることだったりするかもしれない(女性ならお化粧という人もいるだろう)。
何であれ、日常を維持する努力というのは何時であっても難しい。
本当に忙しい時は別としても、忘れてはならない事だとは思う。
そういえば、最近ファミリーレストランに行っていない。
久しぶりに行きたくなった。